コロンボでの想い
4月2日~3日に神戸で全日本ろうあ連盟臨時理事会が行われた後、急いで帰京。
翌日の4月4日午前に、成田からシンガポール経由スリランカへ発った。
臨時理事会は、もともと、3月12日~13日に東京で行うものだが、3月11日に宮城県太平洋沖でM9の地震が起き、翌日12日に福島第一原発の事故が発表されたことにより、石野理事長の判断で「理事会中止・延期、急遽各々帰宅するように」と指示が出され、延期されたものである。
東日本大震災により、私自身の各組織の出席が余儀なく変更された。首長不在の開会が幾つかあり、たぶん、各々の組織史上初の首長不在の開会となったかもしれない。
各々の組織に出席された方々の協力のお陰様で無事に事が進み、閉会されたこと、誠に感謝申し上げたい。
神戸で臨時理事会が開かれた場所は、1995年の阪神大震災で被害が一番大きかった長田であった。
スリランカも、2004年のスマトラ島沖地震による津波で大きな被害を受けた。
阪神大震災、スマトラ島沖地震、東日本大震災、各々の繋がりがあるところへ行ったのは、運命だろうか。
今回のスリランカ行きは、ダスキンの2011年夏~2012年夏の研修生候補者との面接である。
一昨年、香港中文大学との共同作業でスリランカへ訪れた以来であるが、一昨年はテロ対策のため、検問と通行制限が多かった。
今回は、多くが解除されて、自由となっている。
スリランカは、1988年頃、モルジブへ行く途中に乗り継ぎのため降りて、Taj Hotelに1泊した。当時は大晦日の夜であり、広い海浜公園で大勢の人々が集まっていたので、物珍しさで友達と一緒にブラブラしたと記憶している。
1988年から20年以上経った今、Taj Hotelの真正面の広い海浜公園で自由往来している人々を見て、変化が幾つかあると気付いた。
①女性のへそを見せているサリー姿が比較的に高齢化が進み、若い女性はワンピースやズボン姿が増えている。
②男性の腰巻が完全に消えている。自宅では腰巻の習慣が残っているかもしれないが、海浜公園でぶらつく男性は皆、ズボンか短パンの姿になっている。
③男性同士で手を繋いだり肩を回すことは親友の証しであったが、今は見かけなくなった。西洋化が進んだかもしれない。
④天然パーマなのか、グルグル毛が多かったが、女性の髪がストレートが多い。男性は短めの髪が多い。
それも西洋化の一つかもしれない。
日本でも、昔、着物姿が結構みられたが、西洋化が進んで、今は、町の中では高齢者ぐらいとなった。
国内外の情報流出入が進み、貨幣を中心とする庶民生活へ変化した結果であると思う。
それから、コロンボ滞在の最終日に、滞在先のCinnamon Grand Colomboというホテルから東へ徒歩30分ほどに、ガンガラーマ寺院へ行ってみた。
仏教の寺院であり、境内に象がいた。
土足を脱いで預けて、境内を歩くと、右のものを見かけた。
東日本大震災のお悔やみ・お見舞いを記した横断幕が、境内の数か所に飾られていた。
シンハラ語と日本語が書かれている。
その綴りを見て、日本から遠い国から応援しているのだと、胸には感謝の気持ちで一杯になった。
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