2006年8月10日 (木)

<読売新聞>「ドン」が聞こえなかった ヒロシマろう者の記憶

読売新聞オンラインに、広島原爆のろう者の語りを載せている。
本来なら、全文引用は、著作権に触れてしまうが、新聞紙オンラインの掲載記事はいつまで閲覧できるか、私には知らないので、一応、全文コピーした(笑)。

昨年の夏に、長崎平和祈念式典で、被爆者の代表として、山崎さんが堂々と手話で語った。
そのように、被爆、或いは、目撃したろう者の語りを風化してはならない。
戦時のろう者はどう暮らしたか、戦災に巻き込まれたろう者はどうしたか、その語りも無視してはならない。

 -----(引用)-----
読売新聞ズームアップ・ウィークリー
「ドン」が聞こえなかった ヒロシマろう者の記憶
http://www.yomiuri.co.jp/zoomup/zo_06080201.htm?from=os1


 また、あの日が近づいて来る。61年前の8月6日、史上初めてヒロシマに投下さ れた原子爆弾は、瞬時に新兵器の威力と悲惨さを世界に広めた。しかしその時、「ド ン」が聞こえず、終戦後も情報から遮断されて、長い間、原爆とは何かを理解できな かった人たちがいた。被爆ろう者たちだ。正確な実態は把握されていないが、県立広 島ろう学校の卒業生らの調べでは、総数は125人に上る。沈黙の光景ゆえに一層、 鮮明に刻まれた記憶。手話通訳者の仲川文江さんとともに、存命の9人を訪ね歩い た。「いま話さないと、もう機会はない」。そのうち6人が、当初は重かった手を雄 弁に動かしてくれた。
(カメラとペン 尾崎孝)

「放射能」手話になく 吉上巌さん(72)
 爆心から約45キロ離れた疎開先の吉田町(現安芸高田市)で農作業中、せん光と キノコ雲を目撃した。迎えに来た姉に連れられて8月12日に広島市に入り、被爆。 投下時、市内にいた父母や姉ら家族は戦後、次々と死んだ。全身に紫の斑点を浮かび 上がらせて……。そのうち自分もと思ったが、生き永らえた。

 大惨事の元凶が新型爆弾なのは早い時期に知ったが、当時、手話には「放射能」を 説明する言葉がなく、実態を漠然と理解できたのは、かなり後のことだった。

 何がそうさせたのかも知らず、無念のうちに被爆死したろう者を慰霊する「原爆死 没ろう者を偲(しの)ぶ碑」を県立広島ろう学校(広島市中区)の校庭に建立したの は、3年前の8月。毎年8月6日に卒業生らと碑の前に集まり、めい福を祈る。

 同じ場所で、子どもたちに記憶をひもとくことがある。そばには移植された被爆ア オギリ。青々とした葉が、こちらも静けさのうちに、命の尊さを語りかける=先月1 4日撮影(左手前から2人目が吉上さん)。


友人捜し回り被爆 山岡猛志さん(85)

 大竹市でキノコ雲を目撃。地響きも感じた。8月9日に広島市に入り、自転車で行 方不明の友人を捜し回るうちに被爆。長期間にわたり髪が束になって抜けたが、回復 した。かつてはマラソンが得意、今は愛犬と散歩の日々。妻や友人に先立たれ寂しい が、「今でも元気だよ。ほら」と腹筋運動をした=昨年9月18日撮影。

校庭に白骨の山 岡本祐輔さん(76)

 疎開先の吉田町で、教師から新型爆弾が落とされたと聞かされたが、理解できなか った。8月17日、教師に引率されて国民服の配給のため広島市に入り、被爆した。 遠足で絵の展覧会を見に行った産業奨励館(原爆ドーム)の屋根が骨組みだけにな り、学校の校庭にうずたかく犠牲者の白骨が積まれていたのが、まぶたに焼き付いて いる。理容店を営んでいたこともあり顔が広い。自宅には訪問者を知らせるためのラ イトがあった=一昨年2月7日撮影。

体内にまだガラス 村田ヨシエさん(78)

 広島市西区の自宅で、かまどに火を入れて食事の支度中に被爆した。母に助け出さ れた時、見渡す限りの火事が自分のかまどの火の不始末のせいだと思いこみ、驚い た。逃げまどううちに黒い雨が降ってきた。灰や雨が、一番のお気に入りだった白地 に赤いしま模様のブラウスにしみを作って、悲しかった。

 刺さったガラスは体内に残ったまま。髪は4分の1ほど抜け、下痢は冬まで続い た。今でも、夏には体全体に力が入らない事があり、これが原爆症なのかと思う。

 戦後、プロテスタントに入信。日曜礼拝に足を運ぶ。かつて自宅があった路上で、 よみがえった確かな記憶に手をたたいて喜んだ。「思い出せた、思い出せた」=一昨 年11月14日撮影。

勤めに出た兄が骨に 伊藤黎子さん(79)

 自宅の茶の間で、青白いせん光とキノコ雲を目撃した。全壊した家の下敷きになっ た母は重傷。額は裂け、姉の背中で血を吐き続けた。勤めに出ていた兄は、骨となっ て見つかった。近所の人が作ってくれたバラックに避難し、畑の野菜を煮て食べた が、全員激しい下痢に襲われた。10年後、健康を取り戻した母と姉で東京へ引っ越 し、女3人で仲良く暮らしてきた。

 ときどき、頼まれて被爆体験の語り部をする。そのたびに、絵でしか残っていない 兄の面影が胸をよぎる=今年4月12日撮影。


壁に押しつけられた 高夫勝己さん(75)

 広島市東区の宅付近で子犬と遊んでいたら、いきなり10メートルほど吹き飛ばさ れ、壁に押しつけられて気絶した。気付くと、防火水槽に何人もが頭を突っ込んで死 んでいた。つぶれた顔から目玉が飛び出している。

 戦後、被爆者手帳をもらったが、あの地獄絵が特殊な爆弾によるものだとは、19 55年に作られた広島平和記念資料館で悲惨な実態の説明を受けるまで知らなかった。

 そんなことを話しながら、かつての被爆地まで歩いて行った。建物の壁を見ると、 ぐっと顔を押しつけた。あの時と同じように=昨年2月18日撮影。

(2006年8月2日 読売新聞)

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2006年4月21日 (金)

WTC

2001年9月11日
季節はこれから初夏のハッピーな日々になろうとしているのに、なぜか場違いな感傷になってしまった。
それは、2001年9月11日の同時テロ事件。
米ペンシルバニア州に墜落したハイジャック機を題材とした『ユナイテッド93』が公開されることを知ったから。

2001年9月11日の秋晴れ、快適な朝、一日の始まりの活気を見せている最中に、NYCの街に聳え立つWTCが飛行機に突っ込まれた。
平和な日々を過ごす人々は、それは何事なのかと理解するのに、時間がかかってしまった。
地上へ降りることができない大勢の人々が飛び降りて死んだ。
数日後、崩壊。多くの消防士や警察官が犠牲になった。
今の私達にとって、戦争以上の大きな衝撃のワンシーンであった。
戦争の方が恐ろしいと思うが、なぜか、WTCの突撃崩壊の方が衝撃が計り知れなかった。

数日後の2001年9月14日に、私はオランダへ飛ぶことになっていた。
オランダ・エデ市で開かれる会議に出席する為だ。
開催するかどうか、数日間、インターネットにかかりっきりだった。
参加するか不参加とするか決める為だ。

開催決行か、中止か?
米国参加者はどうなるか?

私がオランダへ飛ぶと決定したのは、9月14日朝4時頃。
慌しく荷造りを済ませて、NEXに乗り込んで、成田空港へ。
成田空港では、幾回もかなり厳しい検査を通って、機内へ。

大西洋間、太平洋間は、飛行停止・飛行禁止となった。
アムステルダムでは、米国へ帰国できなくなった米国人が大勢いた。
「WTCで働く友人知人がいるのよ、行方が気掛かりなの」と涙を流す米国人
ホテルで冷静な態度を保つ米国人
会議会場では、帰国できず長期間滞在となると見込んで、滞在世話を買って下さる方々を探す米国人

会議会場で久し振りに欧州の方々を見つけると喜び合った。
米国人でもないのに、なぜが「生きてよかった」と涙もろくなった。
その1週間は、私にとって、一生忘れられない経験の日々であった。

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2006年4月18日 (火)

第30回東京都聴覚障害者軟式野球大会

東京都聴覚障害者連盟副理事長として、『第30回東京都聴覚障害者軟式野球大会』へ開会式挨拶、優勝旗返還・授賞、そして、協力していただいている審判団へのお礼挨拶などの仕事をして来た。

この間の、4月17日(日)は朝から雨ポツリポツリで寒い。
そんな中で、大井競馬場近くの球場で、『第30回東京都聴覚障害者軟式野球大会』が開かれた。
都内の8チームがトーナメントで勝敗を決めて駒を進めて、関東、そして、全国大会へ出場権を獲得するのだ。

この大会の準備を担って下さった(都連盟体育部傘下の)野球運営委員会の委員長は、第30回という素晴らしい実績、昔先輩が始めたからこそ今の私達が楽しめることの感謝を述べて下さった。私の開会式挨拶より、なかなかいいスピーチであり、感動的であった。

来週の4月24日(日)に、決勝戦を進んだチームが関東への出場権を得るのだ。

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2006年4月17日 (月)

東京都立中央ろう学校

20060411_00220060411_0013月13日に「都立ろう学校の閉校」を書いた。
石神井+大田+大塚・杉並・品川の中学部が統合され、中高一貫校の都立中央ろう学校の入学式が、4月7日(金)に、元石神井ろう学校で行われた。
校門では、「石神井ろう学校」から「中央ろう学校」と変わった。
この中高一貫のろう学校としては、全国初だそうだ。

私の、東京都聴覚障害者連盟副理事長としての初仕事は、都立中央ろう学校の入学式来賓であった。
入学式来賓席に座って、式典の進行を見守った。
単に入学式の来賓として出席して、「祝辞を述べて見るだけでは駄目だ」と考え、来賓者に挨拶、特に、教育関係者(教育委員会)と政治関係者(議員)に挨拶することも大切だと肝に銘じて、何人かと挨拶を交わすように心構えて、努めた。
この初仕事で思ったことは、来賓者との挨拶には、タイミングさが本当に大切だということ。
タイミングを掴んでおかないと、挨拶することもできず、すれ違いになってしまう。それは、勿体無いことだが、本当に難しいと思った。もっと経験を積んで、タイミングを掴んで、名刺を交わして挨拶をして、我々の課題を述べて、そして、今後の情報を入手できるように努めたいと思っている。

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2006年4月16日 (日)

手話付プラネタリウム

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上写真の仙台市天文台で、5月一杯まで、手話付プラネタリウムが公開されている。
詳細は、仙台市天文台公式ウェブを参考していただきたい。
手話付プラネタリウムは、「THE SUN ~母なる星~」
下写真の左は、手話・字幕付であることと、見やすい席の案内を表示している。
下写真の右は、プラネタリウムが投影されている間に、音声説明が出ると、必ず、手話・字幕が表示されるのを撮ったもの。
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プラネタリウムは一度見たことがあるが、音声説明だけで、内容が全くわからなかった。
又行きたいと思うようなリピーター意識を持つことさえ、簡単なことではなかった。
そのように説明されるのかと、初めて知り、内容も結構面白かった。

皆さんも是非行くことをお勧めしたい。

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2006年4月11日 (火)

実家で

20060411_018公休を取って、久し振りに実家へ。たぶん1年半振りかな。
用事先の帰りに、昔第二次大戦終戦後、引き揚げ者の為に設けられた2階建て木造長屋が立ち並ぶ住宅地を歩いて、幼い時、いつも近道を歩いて帰った道を歩いたら、何と、上写真の通り、通行禁止と立て札が立ってた。フェンスが敷かれてあって、渡れないのだ。
しぶしぶと遠回りで歩いて、帰宅したのだ。

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2006年4月 9日 (日)

大舘君がチュニジアで出品

3月21日に大舘君の活躍さを紹介した。今度、大舘君がでかしたことをやりましたよ。

おおだてのぶひろ監督作品の「小さな下町」が日チュニジア外交樹立50周年記念に上映参加!

それは、日本-チュニジア外交樹立50周年記念企画の一環として、文化交流に大舘君監督の映画『小さな下町』が上映されたのだ。記念すべき行事に招待されて上映されるとは、大変名誉なことだ。

DEAF-NEWSから失敬するが、次のURLで、Odareという綴りで紹介している。

チュニジアのプレス新聞
http://www.lapresse.tn/pdf/la_une_pdf/2006-03-15_une.pdf

チュニジアのプレス・ウェブサイト掲載
http://www.lapresse.tn/index.php?opt=15&categ=4&news=23959

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2006年3月31日 (金)

Greg Gunderson氏

Greg



Greg Gunderson氏
米国サウスダコタ州在住
サウスダコタろう学校→地域高校→ギャロデット大学
ろうドライバー(レース)
http://www.gundersonracing.com/
※このホームページは全て英語

日本語表現で何と書くかわからないが、「カーレースドライバー50傑」の一人として選ばれている。
祖父と父がカーレースに参加、現在、本人が参加しているそうだ。

全部英語だが、写真も多いので、何となくわかるかもしれない(笑)。

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2006年3月23日 (木)

聴覚障害者向け通信装置の博物館

Day54g米国ウィスコンシン州マディソン市に、TTYなどの聴覚障害者向け通信装置の博物館があるそうだ。(出典元:DeafNation

次の見出しをクリックして、ゆっくりとご覧下さい。
ASL動画ビデオと英文の両方を表記。ビデオは11分間余り。

Barr Productions' Deaf Devices & Museum (DeafNation Road Trip - Day 54)
 ※聴覚障害者向け通信装置の博物館
 ※昔の最初の通信装置も出ています。

この博物館の住所は、次の通り。この近くへ行くことがあったら、是非訪れてみたいものだ。

Address: Barr Productions and Museum
4514 Monona Drive
Madison, WI 53716

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2006年3月21日 (火)

大館君の映画がエントリー

Img_5446神奈川新聞ローカルニュースに、次の見出しが出た。

☆国際ろう映画祭に横浜在住の大舘監督最新作がエントリー☆

五月にカナダ・トロント市で開かれる世界ろう映画祭に、大館君が監督した『迂路(うろ)』がエントリーされた23出品のうちの一つに選ばれたのだ。
その映画祭とは、「第1回トロント国際ろうフェスティバルアート&映画祭」(TIDEAF)だ。<参考:一覧

友人が映画祭にエントリーされたことは大変嬉しく思う。日本、そして、世界中のろう者皆が見て心に残るような映画製作を続けて欲しいと思っている。

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2006年3月18日 (土)

3/17 神戸空港

20060317_01220060317_013今日3/17に神戸空港へ出張。
兵庫県在住のろう者とお会いできてよかったと思っています。
兵庫県在住ろう者の皆さん、ご協力下さって、本当にありがとうございます。

2月16日に開港された神戸空港は、今日、大勢の見物客で賑わしていました。
空港ターミナル屋上から西方向に、明石大橋がよく見えることがあるそうです。今日は、日が暮れている時、明石大橋の影がよく見えました。それから、南方向に、空が透き通った時に、関西空港が見えることがあるそうです。今日は見えませんんでした。
新しい観光名所になるでしょう。

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2006年3月15日 (水)

2007年ソルトレイク、2009年台北

200601160001Logosaltlakegames70x126Logotaipeigames92h114トリノ冬季オリンピックが終わって、今、パラリンピックが開催中。
デフリピックは、来年2007年にソルトレイクで冬季、3年後の2009年に台北で夏季が開かれる予定。

来年の冬季デフリンピックに控えて、ソルトレイクで会見が行われた。(ビデオ

このデフリンピックは、最初、1924年にパリで第一回が開かれた。それ以来、夏季だけだった。冬季は、第二次大戦後の1947年に開かれた。最初の組織名称は、CISS、それはフランス語表記であって、日本語表記の公式名称は「国際ろうスポーツ協会」。歴史についての詳細は、Gamesページでご覧になれる。

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2006年3月13日 (月)

都立ろう学校の閉校

最近数週間のうちに、都内の都立ろう学校の閉校式が相次いでいる。
というのは、かって、都立ろう学校8校が、4校3分校と統合される。おれは過度であって、将来、1校3分校が廃校されて、中央・葛飾・立川の3校へ統合される予定だそうだ。

<現在>
大塚(幼稚部・小学部・中学部)
江東(幼稚部・小学部・中学部)
品川(幼稚部・小学部・中学部)
杉並(幼稚部・小学部・中学部)
石神井(高等部)
大田(高等部)
葛飾(幼稚部・小学部・中学部・高等部)
立川(幼稚部・小学部・中学部・高等部)

<統廃合>
大塚(幼稚部・小学部)
  江東分校(幼稚部・小学部)
  品川分校(幼稚部・小学部)
  杉並分校(幼稚部・小学部)
中央(中学部・高等部)
葛飾(幼稚部・小学部・中学部・高等部)
立川(幼稚部・小学部・中学部・高等部)

<最終>
中央
葛飾
立川

詳細は、次のページでごらんしていただく。

まず一番気がかりになるのは、1時間以上かけるような遠距離通学の子供をどう守るかである。

そして、「特別支援教育」とか、いろいろな提案が出されているが、今のろう学校は、悪循環に陥ってしまったまま、なかなか、抜けられないでいる。
ろう学校現場では、口話教育が徹底的に行われ、子供達は唇を読み取るのに必死であり、勉強のことは何もかも手をつけられない。インテグレーションした学校では、子供達が先生の話なんかわからないから、自分で勉強できる子は独学で伸ばしていくが、周辺の子供とのスキンシップが成っていない。
両方の子供も駄目になったままだ。多くのろう学校現場の先生は、何もしていないのが事実であり、なかなか悪循環から脱していない。
そんな悪循環に陥ったままのろう学校を、特別支援教育の拠点にしようという話は、歯がかみ合わないものだ。

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2006年3月12日 (日)

1年後

2005年3月6日に誕生して以来、2年目を迎えた。
下写真のように、こんなに大きくなった。(左:ミチコ 中:ヒロ 右:母らん)
体長(鼻から尻まで)は、ミチコが40cmぐらい、ヒロが45cmぐらい。
ミチコは女王様、ヒロは大人しいがよく食べる。
帰宅すると、3匹とも争って玄関へめがけて走る。いつも、一着ヒロ、二着らん、三着ミチコ。しかし、なでる時の順番があるのだ。一番目ミチコ、2番目らん、3番目ヒロ。以前は、一番目らん、2番目ヒロ、3番目ミチコだが、そうなると、ミチコが憮然となり、一晩中、機嫌が悪い。
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2006年3月 6日 (月)

第35回耳の日記念文化祭が無事に終了

 3月4日・5日の2日間の「第35回耳の日記念文化祭」が無事に終了した。
来場者は、延べ3100名。(昨年は延べ3500名)
2日間、続けて晴れたし、寒くなかったことが何よりであった。
 目玉の「LO+VE100%」「早瀬夫婦トークショー」は、100名が入れる部屋で一杯になり、廊下などの3ヶ所に設けたテレビの前でも人だかりができて、人気があったようだ。
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2006年2月27日 (月)

台湾228事件

2/27今日、ヤフーニュースで、次の記事が流れて来た。
今回に関わったのは民主進歩党政権下で進められたものであるが、どの党であろうか、台湾政府では画期的な出来事となると思う。

台北大学医学部の向かい側に、228公園が広がっている。
その「228」とは、かっての2・28事件の数字を取ったものだ。その公園の片隅に、228記念会館があり、日本人なら誰でも見に行って、かっての日本政府が植民地に何をしたか、考えてみるのにいい機会となる。


最大の責任者は蒋介石 台湾、2・28事件で研究書
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060227-00000039-kyodo-int

 【台北27日共同】1947年2月に国民党軍が台湾住民を武力弾圧した2・28 事件から59年に当たって「事件の最大の責任者は蒋介石」と結論付けた研究書がこ のほど台湾で出版された。
 総統府国史館(国史研究所)の張炎憲館長が中心になってまとめ、国民党政権下で タブーとされた「蒋介石責任論」が民主進歩党(民進党)政権下で初めて認定された。
 事件は、大陸から渡ってきた国民党政権の圧政や腐敗に対する不満から抗議行動を 起こした本省人(台湾出身者)が武力弾圧され、推計1万8000-2万8000人 が殺害、処刑された。

<参考>
フリー百科事典・ウィキペディア
二・二八事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E3%83%BB%E4%BA%8C%E5%85%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6

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2006年2月26日 (日)

生け花

20060226_037_1日本手話研究所外国手話研究部の部会で、全国手話研修センター(京都)へ行ったのだ。朝8時頃に家を出て、夜8時半頃帰宅。まる12時間の日帰りであった。
京都駅で新幹線から従来線へ乗り換える時、新幹線のロビーで、生け花展示。嵯峨野線の電車まで時間があったので、ちょっと見て回って、デジカメで撮って来た。
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皆さんは、どれが好きですか?

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2006年2月25日 (土)

三寒四温

20060223_023三寒四温が続いている。繰り返しながら春を迎えるので、寒い時はじっと待ち堪えないといけないな(笑)。
昨夜は寒い雨。寒い雨の夜ライト景色が何となく好きで、渋谷の自立センターへ行く途中、明治通りの渋谷二丁目歩道橋から撮ってみた。

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2006年2月19日 (日)

市民企画事業補助金

Akakikaku 今日2/19の午前に、八王子市「市民企画事業補助金」平成18年度応募事業のプレゼンテーションに出かけて来た。
応募は、八王子市内から30件。うちの八王子市聴覚障害者協会は、『八王子の手話』ガイドブック編集発行の企画を提出して応募したのだ。
発表5分、質疑応答5分、計10分間を与えられていて、審査員5人の厳しい顔つきに直面しながら、心臓がパクパク、手も足も震えながら、5分間の説明を何とかとやり通した。
質疑応答で予想外のものが出た。

「編集作業の進捗状況を市民が知るには、どのようにしていますか?」

20060219_048私は、当協会で毎月1回定期的に機関紙を発行して市役所などへ配布していることと、進捗状況を載せて知らせていることを説明して回答した。
質疑応答が終わった後、その回答でいいのかなとやや不安に思いながら舞台を降りた。
後は、採択結果を待つのみ。

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2006年2月13日 (月)

山口で(2)

20060211_018 山口での2泊目の夜に、仲間と一緒に飲み会へ。
 新山口駅周辺の居酒屋が非常に少なくて、大きな居酒屋は、白木屋、養老の瀧、他の1軒、計3軒しかないらしい。他は、10人前後で一杯になる小さな居酒屋ばかり。第22回全国手話通訳問題討論集会の参加者の、たぶん4分の1の、200名ほどは、新山口駅周辺に宿泊していたようだ。そのために、新山口駅周辺の居酒屋は、夜更けていないのに、夜8時頃にオーダーストップをするなど、料理材料不足で、対応し切れなかったようだ(笑)。
 左写真は、新山口駅北口近くの養老の瀧のフロントに飾ってあったお雛様。淡く照らされたお雛様を見て、外の肌寒さを忘れるほどであった。

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山口で

20060211_01020060211_012トリノ冬季オリンピック開会式が開かれている間、私は新山口駅付近のホテルで寝ていたのだ。
2/10昼~夜に山口県身体障害者福祉会館(地図)で、全国手話対策部長会議が行われた。続いて、2/11昼~12日夕方まで山口県セミナーパークをはじめ、山口県聴覚障害者情報センターで、「第22回全国手話通訳問題研究討論集会in山口」が開かれた。左写真が、後者の会場の、講堂と一般センター棟との間の広場。当日は小雨で、周辺の山々に霧がかかっていて、議論して疲れた頭、疲れた目を癒すのに、ちょうどよい雰囲気と景色であった。
レポート提出締切に間に合わず、傍聴参加だけとなった。(第14分科会「手話を広めるためには」)
楽しみにしておられた方々、ごめんなさいです。

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2006年2月 9日 (木)

2006年2月7日大雪

20060208_00520060208_0082/7朝に起きたら、外は銀世界と化した。
左写真は、近くの久保山公園。雪を厚く積もられた母子像。遠くから見ると、まるで、白い帽子、白いセーターを着ているように見える。
雪が止んだ後、気温が高くなった為、積雪が溶けて、全部、溶けてなくなったようだ。

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2006年2月 8日 (水)

「ハートトーク133」第7回放送

連絡が遅くなりました。
『ハートトーク133』第7回放送が、既に、公開されています。皆さん、是非見に来て下さい。
0131_2パーソナリティは、私ではなく、高木理叶さんという、ろう女性です。(9月収録分)
ゲストは、KITEという、プロダンサーを目指す若手の男性。

高木さんは、私とは違った個性的な話し方をして、なかなか楽しい方です。
皆さん、ご覧になった後、コメントなどを、直接に電子メールで送って下さい。皆さんの意見などをお待ちしております。(ここをクリック

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2006年2月 富士山

20060206_010朝焼けに染まる雪衣の富士山
いつ見ても安堵感というのか、ほっと撫で下ろしてしまいます。やはり、日本人だからかな。

富士宮周辺で新幹線中から撮影

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2006年2月 7日 (火)

インターネットで、手話学習

(仕事絡みで)「手話学習」をキーワードにして検索したら、次の、(たぶん)2点が出ていた。他にも沢山あるが、標題通り、「インターネットで」がポイントで、今のところでは、この2点がメインかもしれない。

Detail_head01

ポータル熊本が管理している『マルチメディア 手話学習システム』。生身のモデルが表現している。
赤いボタンは、見ることができる。まだ工事中であり、40%位のようだ。会話文は、短文であり、長くても3単語(入門・初級レベル)。

Topl

もう一つは、株式会社日立製作所中央研究所・長崎県工業技術センター・社会福祉法人じゅもん会・関連企業が共同になって開発した『手話教育システム』。日立製手話アニメのソフトを使っている。 
会話文が初級レベル。嬉しいなことに、非手指文法のマーキングもついて、ていねいだ。
※今日時点で私のPCでは、アニメが出てこない(?)ため、表現の確認はできない。悪しからず。

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一貫楼(神戸)の豚まん

20060206_02120060206_022 神戸元町の「一貫楼(いっかんろう)」の豚まんは、大阪の蓬莱軒と違って、結構うまかった。V(^-^)V
皮は、ふかふかして、パンのような味わい。
中身の具は、玉ねぎか春雨か、半透明なものが入って、ちょっと甘い味。からし、酢+醤油をつけて食べると、具のちょっと甘さと、酢の酸っぱさが、調和の取れた味わいとなり、ボリュームがあって楽しい。

私が買ったのは、JR元町駅ホームの東端の先の交差点で南へ曲がって、アーケードを横切るところの店。中華料理も作っているらしい。

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2006年2月 6日 (月)

東横イン 条例違反・無断改築

 姉歯建築設計偽装が発覚されて以来、建築業界の膿を出すかのように、連鎖的に、建築に関する違法・偽造が明るみにされている。
 最近、東横インが違法と知りながら改築を行ったという事件が発覚された。
検査後許可を受けた後改築を行うなどの巧妙な手口を繰り返したというものであり、その多くは、障害者専用部屋だという。
 最近、各道府県の障害者団体が東横インを講義するという行動が相次いでいる。東横インの改築行為は、障害者に対する無理解と差別であることはもっともだが、一つ、疑問が湧いてきた。障害者専用部屋とは、車椅子利用者が宿泊することになっていると思う。我々聞こえない人は、聞こえる人と同様、一般部屋に宿泊するので、障害者専用部屋に泊ることがあまりない。
 私は、関西の、ある会議・宿泊施設で、車椅子利用者も泊れる部屋に宿泊したことがある。
感想というのか、印象について、正直に言わせれば、快適だと思ったことがない。ホテルは、「一日の疲れを癒す」という機能・役割が非常に重要だと思う。広すぎるのか、丸見えで無謀なのか、違和感があって、寛いで気分を休めたいところでもない。車椅子の移動がスムーズになったものの、かえって、快適性が劣ってしまっていて、その機能・役割がうまく作用できなくなっているのだ。
 ホテル経営側としては、どの部屋に誰でも泊れるようにしたいと考えていると思う。満室であろうか問わず、唐突に車椅子利用者が泊りに来ても対応できるように、常に、障害者専用部屋を空けているようにしているかもしれない。なるべく大勢に泊めてもらって、回収率を高めたいと思うホテル経営側が不憫だと思うことがある。
 ユニバーサルデザインの理念に則れば、「いつでも、どの部屋にも、車椅子利用者が泊れる」ことが一番理想的なこと。
なぜ、ホテルの全室を、一般利用者も車椅子利用者も泊れるような設計を提案することができないか。
今回の東横インの違法改築について、その問題が、ホテル業界だけの話ではないと思うし、ホテル業界だけでは解決が捗れるとは思えない。車椅子利用者重視と走ってしまわないように、車椅子利用者、ユニバーサルデザインの業界、そして、政府・自治体が一緒になって、再度検討して、解決の手口を見つけるべきではないか。

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ムハマンド風刺画

ムハマンド風刺画を理由にして、イスラム圏、及び、イスラム教徒の抗議暴徒が日々、激しくなりつつあり、死者が出るほどの規模へ至った。今日、国連総長が暴力停止を訴えたそうだ。
Muhammedwestergaムハマンド風刺画とはどんなものかと、英語の綴りを入れて、Googleのイメージ検索で調べた。なるほど、イスラム教徒が尊敬している「ムハマンド預言者」をあざ笑い、侮辱していると解釈してしまうものですね。地球上の「境」を定まることの困難さが顕著されつつ、「民族・宗教共存」の実現を望んでいる世の中で、民族間・宗教間の溝を深めてしまうような行動を謹んで欲しいと思っている。特に、風刺画を書いた人達に反省を求めたい。

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2/28:放送・通信バリアフリーセミナー

#転載です。
次の通り、放送に関するセミナーが予定されている。
デジタル放送に関して、日本現状ではどうだろうか。

 -----(ここから)-----
*************************************
障害者放送協議会 放送・通信バリアフリーセミナー
≪障害者と放送・通信≫
http://www.normanet.ne.jp/info/seminar060228.html
*************************************

日時/2006年2月28日(火) 12:30~17:30

会場/中野サンプラザ 11F アネモルーム
    「中野」駅 北口より徒歩1分
    http://www.sunplaza.jp/access/index.html


●同時通訳、パソコン要約筆記、手話通訳あり
★手話通訳・点字資料等が必要な方はお申込み下さい。
★FAXでお申し込みの方は受取確認を致しませんので、当日直接お越し下さい。

●参加費:無料
●募集人数:100名(事前申込制)
 ※「参加申込用紙」はメール本文最後に記してあります。

FAX:03-5909-8284 e-mail : 228housou@list.jsrpd.jp
担当:中村、外舘 (財)日本障害者リハビリテーション協会情報センター
お問い合わせTEL:03-5909-8280

-(以下、「趣旨・プログラム・申込要項」等)----------------

【趣旨】
近年、テレビなどの放送に障害者が登場することが増え、
障害者がどのように描写されるかについて当事者の関心も高まっている。

一方で、地上波デジタル放送が開始され、
テレビ番組のアクセシビリティや
受信機の操作の利便性に対する要望も強い。

昨年度のセミナーでは、
英国王立聴覚障害研究所から講師を招聘し、
EUでは、「障害者とメディア」宣言が行われたり、
デジタル放送サービスに関する基準を設けた国もある
ということを知った。

本年は、米国よりテレビの障害者アクセスの専門家を招き、
わが国の関係者と意見交換をすることで、
わが国の放送・通信行政と業界の課題を明確にすることを通じて
障害者に対する支援の発展を期するものとする。


-<プログラム>-----------------------

受付開始 12:00
開会挨拶 12:30
片石修三氏(財)日本障害者リハビリテーション協会常務理事

【第1部 12:40~15:10/すべての人のための放送と障害者アクセス】

ファシリテーター:
高岡正氏 ((社)全日本難聴者・中途失聴者団体連合会理事長)

●講演1 デジタル放送についての米国の現状
ロバート・ペドロウ氏
(カリフォルニア州立大学バークレー校エド・ロバーツ障害学特別研究員)

●講演2 情報通信のユニバーサル化に向けた取組み
上原仁氏 (総務省情報通信政策局情報通信利用促進課長)

●講演3 情報のユニバーサルデザイン~課題と可能性~
我が国の放送局に講師依頼中

質疑応答

【第2部 15:20~17:30/放送番組における障害者】

ファシリテーター:
荒井洋氏 ((社福)全国精神障害者社会復帰施設協会事務局長)

●講演4 障害者の描写に関する米国の現状
ケニー・フリース氏
(ゴダード大学大学院クリエイティブ・ライティング教授)

●講演5 放送番組制作の現場から
我が国の放送局に講師依頼中

質疑応答

司会:寺島彰氏(浦和大学総合福祉学部教授)

-------------------------------

主催:障害者放送協議会放送・通信バリアフリー委員会、
   (財)日本障害者リハビリテーション協会
後援:埼玉県民共済生活協同組合

-------------------------------

【申込要領】

●参加費:無料
●募集人数:100名(事前申込制)
●申込方法:(財)日本障害者リハビリテーション協会情報センターまで
 FAXまたはメールにてお申込み下さい。

●その他: 同時通訳、パソコン要約筆記、手話通訳あり
★手話通訳・点字資料等が必要な方はお申込み下さい。
★FAXでお申し込みの方は受取確認を致しませんので、当日直接お越し下さい。

FAX:03-5909-8284 e-mail: 228housou@list.jsrpd.jp
担当:中村、外舘
お問い合わせTEL:03-5909-8280


・・<参加申込み用紙↓>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

お名前(ふりがな)

ご所属

ご連絡先
 □住所 〒                  
 □電話                   □FAX
 □e-mailアドレス

下記に該当します(該当するものに○を付けてください。)
1)車イス使用
2)手話通訳が必要
3)点字プログラムが必要
4)パソコン要約筆記が必要
5)磁気ループが必要
6)その他
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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2006年2月 4日 (土)

2006/02/04 らん、ミチコ&ヒロ

2005年3月6日にミチコ&ヒロが生まれて以来、まもなく1年になる。(写真と日記
今は、写真のように立派になりました。人間年齢へ換算すると、まもなく15歳になるらしい。20060204_005右がヒロ、左がらんママ、左上がミチコ。
らんが私を呼ぶ時、後ろ足で立って、前足を私の足に突っつく。
ミチコも習って、らんのようにできるようになった。
しかし、ヒロが吼えるばかりで全然駄目。知らん振りをしても、ヒロが頑として吼える。

「ここへ来て」という合図で、床を叩くと、らんとミチコが寄って来る。しかし、ヒロは頑として知らん振りとして来ない。ヒロは気難しい反抗期に入ったのかな。

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桂花

20060204_001_1 東京では、熊本ラーメンといえば、とんこつラーメンの「桂花」がよく知られている。新宿には、アルタ裏の2ヶ所、新宿3丁目の1ヶ所に、計3店を構えている。
 東京手話通訳等派遣センターでの会議へ行く途中、腹を少し満たそうと、新宿三丁目の「桂花」へ寄る。たぶん半年ぐらい振りかな。
 入ってみたら、驚いたことが一つ。口髭の兄が、痩せて白髪、老けてた。
この「桂花」は、大学を卒業して東京の通信関係メーカーへ就職して以来、少なくとも年に2回以上、20年以上、食わせてもらっているので、毎年必ず、口髭の兄を目にかかっている。先に書いた通り、半年振りに行ったら、口髭の兄の老けぶり(「老化」と書くのは酷)に驚いたわけである。
 驚くと共に、我ながら自分の年齢を思い、そして、脳裏に過去記憶が甦り、走馬灯のようにぐるりぐるりと…。
一緒に食った仲間や、一人で食う時に思ったこと考えたこと、などなど。
私自身の人生を考えると、この「桂花」の存在も不可欠だなと思いつつ、この「桂花」がいつまでも栄えて欲しいと思っている。

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2006年2月 3日 (金)

全国手話通訳問題研究会討論集会in山口

来週の2/11~12に、山口市で「全国手話通訳問題研究会討論集会」が開かれる予定になっている。
第22回全国手話通訳問題研究討論集会IN山口」で、交通宿泊や集会などの情報を多く出されている。観光情報はもっともだが、嬉しいなことに、グルメ情報も出して下さっている。それら情報を参考にして、会議の合間などで楽しみたいと思っている。

<追伸>発表すると公約しましたが、レポート提出締切に間に合いませんでした。従って、今回の発表はなしです。申し訳ございません。

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トリノ冬季五輪

4年に1度の「冬の祭典」、トリノ冬季五輪が2月10日から26日までの17日間にわたり、イタリア・トリノ市で開かれる。
毎日、テレビやインターネットで、トリノ冬季五輪関連の記事で賑わしている。
時事通信社+ヤフーで出されている公式ウェブがある。冬季五輪の話題だけでなく、トリノ市の風景もドシドシと出て来る。さすがプロカメラマンが撮るものであって、なかなか、いい写真が多い。
仕事の合間にと、気分転換にと、頭と気持ちを癒すためにと、十分安らぐと思う。

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2006年2月 1日 (水)

桃カステラ(2)

2006年1月26日(木)に記した「桃カステラ」について、長崎では、初節句に出されるお菓子の一つだが、全国各地にそういう習慣がないらしいことが、少しわかって来た。
昨日1/31に、会社からの帰途に、新宿・小田急百貨店の食品売り場(地下2階)へ行ってみた。勿論、予め、インターネットで、福砂屋のカステラを扱う店を調べてから出かけたのだ。
福砂屋のケースには、カステラばかり。ケースの中にはないと確認して、男性店員へたずねる(筆談で)。

「桃カステラがありますか。」

男性店員は怪訝な顔つきで、「桃カステラですか。どんなものでしょうか。」

私が両手で大きさを示して、「大きさは、これぐらいで、桃の形をしています。」と説明。

男性店員が、「お待ち下さい。」と断った後、他のケースを見に行ったのだ。恐らく、桃カステラが別の店で出していると思ったのかもしれない。
この男性店員が戻ると、「いえ、申し訳ございませんが、ここでは扱っておりません。」と。
私が、「桃カステラは、長崎では初節句に出されるカステラ菓子で、福砂屋で春に出されるものです。」と更に説明を加えると、男性店員が珍しそうに。女性店員が「さぁ、そういうものは知りませんね。すみません。」と、珍しそうに。

以上により、桃カステラは、長崎のみであることは判明したのだ。
やはり食べたいなぁ。

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2006年1月30日 (月)

交通博物館 閉鎖

20060129_026左写真のポスターは、用事先の最寄駅で見かけたもの。立ち止って読んだら、2006年5月14日に閉館する予定とのこと。
公式ウェブで確認したら、その通り、記されてあった。(ここをクリック
こっちの公式ウェブには、交通博物館をさいたま市へ引越し、神田の博物館を「鉄道博物館」とする予定と説明。
この説明を続けて読んだら、そのページの下に、既に、新しくなる「鉄道博物館」の公式ウェブと思われるものへのリンクが出来上がっているのだ。だが、博物館自体は、2007年10月14日に開館する予定だそうだ。
うん、気が早いなと思った(笑)。

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東京の空

20060129_0371月もあとわずかになった。「時」のスピードが増していると感じている。歳のせいか?それとも、担当が増えたから?
こちら、東京では、12月以来、週末が曇ったり雨や雪が降ったり、あまり、いい日でなかった。今日、久し振りに快晴で雲一つもない真っ青な空であった。爽快で気分がいい。

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2006年1月27日 (金)

小田和正

1/26昨夜遅くNHKで小田和正(歌手)の追跡ドキュメンタリが放送された。

ここでは、歌の世界に無縁な方々が多いので、小田和正が辿った歌手の道について、少し詳しく書こう。
インターネットで見るなら、小田和正公式ウェブ、ウィキペディア「小田和正略歴」などを見ることができる。
小田和正は、昭和22年生まれ(私の一回り年上だ)だ。
その昭和22年生まれは、団塊世代の始まりであり、その多くは、大学で安保闘争の日々、日本の高成長時代を支え、日本中の流行を生み出し、今度はバブル期の大量解雇といった人生を歩んでいる方々だ。団塊世代が動くと、「山が動く」といわれているほど、日本中の影響力は計り知れないものだ。
小田和正は、オフコース解散の後、ソロ活動を歩んでいる。小田和正が歌うのにあわせて口ずさむのは団塊世代であり、共感を覚えるのも団塊世代だと、テレビが述べていた。

団塊世代の定年退職の「2007年対策」関連で、関心があって、見ていたわけだ。
団塊世代の観客の多くは、インタビューで「小田和正の歌詞に共感」と答えているので、小田和正の歌詞を見て来た。

Yahoo! Music 小田和正 歌詞

自分の頭を日本語モードへ切り替えて、初めて、小田和正の歌詞を読んだ。
うんうん、感動的ですねえ。

今日は、「言葉にできない」を紹介しよう。

聞こえない人は、聞こえる人達へ言いたくても言えぬ、悔しさを噛むことが多い。
歌詞を読んで、心が打たれた思いであった。

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2006年1月25日 (水)

中央日報 オピニオン

 中央日報のオピニオン・ページの【コラム】に、「日本よアジアに帰れ」が記されてある。
日本に対して、アジアとしてのアイデンティティを求めるという話かと思い、読んで見たら、本当に呆れた。最近の、2005年11月25日に記したもので、韓国内では、そういう固執した傾向がまだ蔓延っていると思っていいかもしれない。新内閣の人事発表時の服装がモーニングを使用していることを、「西洋崇拝」と書いている。韓国大統領が白い手袋をつけて手を振ることが、欧州の貴族と変りはないか。どういう客観で書かれているか疑問だ。小泉首相について「強者に弱く、弱者に強い卑しい姿勢だ」と書いているのも疑問だ。私なりで書くと、小泉首相の全体についてはイマイチだが、外交政策について評価を上げたいと思っている。批判的な記者は、そういう見解の人達の意見も聞くべきだ。コラムは、突っ走る感情論で書き、独り善がりで理性を失って書くものではない。
 そのページを読んで、「考えさせられた」より、強烈な「気分不快」で終わった。

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2006年1月24日 (火)

BSL Academy

手話教授法関係で、最近リニュアルしたものを紹介したいと思う。
英国手話BSL*1の講習に関わっている講師助手らを中心となった研究会がある。
それは、BSL Academyだ。直訳すると、「英国手話アカデミー」。
最近リニュアルされ、操作がぐっと良くなり、使いやすい。手話による説明を多く用意されているのが嬉しい。
手話講習会や手話指導、そして、手話通訳通訳者養成、講習会運営関係者の皆さん、一度、BSL Academyの公式ウェブを見に行ったらどうでしょうか。
アクセスすると、(英文説明ではなく)英国手話による説明が表示される。手話がわからない人や、英文を読みたい人は、右上の「Click here to Text Version」のボタンを押せばよいように設計されてある。

なぜ紹介したいのか、それは、BSL Academy自体の理念言動、及び、BSL使用者本位であることが、非常に明朗だ。又、手話による説明・解説は、英語が読めないからという理由ではなく、聴者には音声による説明があるように、BSL話者にはBSLによる説明を用意することを当然としている。
手話動画像は、FlashPlayer7ソフトを用いている。

説明を担っているのは、クラーク・デンマーク氏Clark Denmark。スコットランド出身のろう者(デフファミリー)。
ギャロデット大学へ留学して途中退学して、英国へ帰国して、英国で改めて大学に入り直したという持ち主。更に、英国へ帰った後、当時のろう文化論を大きく変えた張本人であり、現在、英国中で尊敬されている人物の一人でもある。

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大雪の東京

20060121_00220060123_002 先週の1/21朝から夜にかけて、東京では大雪だった。
「長いトンネルを抜けると、そこは雪国だった。」ではなくて、「長い冬夜を明けると、そこは雪景色だった。」である。
写真の左は、21日朝に撮ったもの。写真の右は、23日朝に撮ったもの。2日以上経っても屋根に雪がまだ残っているとは、22日に晴れても、先週末が結構寒かったようだ。昼間に溶けたところは、夜になると氷となってしまう。うちの家の前の道路は緩やかな坂道であり、特に、朝は、滑って怪我してしまったらあかんので、要注意だ。23日今朝も、玄関と、日が当らない道路には、雪と氷でガチガチであった。

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2006年1月23日 (月)

ASL MOVIE

Asl_moviesASL MOVIEというページが見つかった。Deaf Jokeを集めたものではないが、結構、楽しめる。
flashソフト使っているので、ない人は、そのページのどこかにflashのマークを見つけて、ダウンロードしておくように。他に、米国のいろいろなろう者話題も載せているので、結構、楽しめる。

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ブリー・ド・モーBrie De Meaux

20060121_014左写真は、イル・ド・フランス製Brie De Meaux、ブリー・ド・モー。カマンベールの一種なのか、カマンベールと似たようなもので、初めて食った。ちょっと塩っぱく、柔らかい。カマンベール特有のつんとした匂いがない。そのまま食うのもいいと思うが、フランスパンにぬって、或いは、サンドイッチにして、食べるのもいいようだ。
食べ物中心。パリ生活。」というブログによれば、ブリー・ド・モーの季節は、春の終わりから秋の終わりまでだそうだ。(2005年12月10日 (土) 冬のフロマージュ、Mont D’Or)

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雪薄化粧の三浦

20060121_009東京では、21日朝から夜へかけて雪が降った。
左写真は、22日朝の雪薄化粧の三浦市。

この、三浦市で、関東ろう連盟の幹部研修会、そして、2006年度~2008年度の理事選挙が行われた。
私は、まず関東ろう連盟理事に立候補して、定足:80名のうちの67票を得て、当選した。(定数9名)
続いて、全日本ろうあ連盟理事立候補への出馬に対する選挙が行われた。定数5名に5名が立候補。規則に則り、信任選挙となり、定足の1/2以上、つまり、41票を越えなければならない。私は、66票を得て、全日連理事の立候補が認められた。
6月第二週の全日本ろうあ連盟評議員会で、立候補することになります。ご応援下さるよう、よろしくお願いします。

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2006年1月20日 (金)

ブログ案内<海外手話の手話へ->

今日の仕事関係で検索している時、たまたま見つけたブログを紹介します。

海外手話の手話へ-

管理人の身分を明かしていないし、固有名詞が、全日本ろうあ連盟をはじめ、幾つかの機関に使われている固有名詞を使わないなど、ちょっぴり、問題がありそうですが、翻訳内容の理解に差し支えていないから○。又、自分で、海外情報を集めるのに大変であるので、英語圏の情報を載せて下さるブログがあると、本当に心強い○。

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2006年1月19日 (木)

新空港

3月までに、新空港2ヶ所が開港される予定。
 神戸空港
   2月16日開港 日航・全日空・スカイマーク 
 北九州空港
   3月16日開港 スターフライヤー

予てからユニバーサルデザインの取り組みを行っている神戸市は、神戸空港構想の時からユニバーサルデザインを大いに取り入れているそうです。 どんな空港になるか、楽しみ。

羽田空港第二ターミナルは、ユニバーサルデザインを取り入れて配慮していると、開港時のニュースで話されていたけど、未だにどうもピンとすることがない。従来のユニバーサルデザインと何か違うの?何か新しいの?と、言いたい。移動行動に不利を強いられている当事者から見てどのぐらい満たしているか、どうもわからないような…。
多くの人々にとって、羽田空港は、忙しくて通過する、或いは、長く留まるのも嫌だといった、印象が薄い存在かもしれない。かくいう私も、羽田空港で時間をかけてブラブラしたことがないのだ。
空港内滞在時間が長い人がわずかしかいないような空港では、ユニバーサルデザイン評価・批評を汲み挙げることがなかなか容易でないような気がする。

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2006年1月18日 (水)

2006年 年賀状

P10301832006年(平成18年)の年賀状を公開。
ポーランド・グダニスク市の港

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2006年1月16日 (月)

ミスター長嶋茂雄

P1030181ミスター長嶋茂雄が姿を見せたというニュースが流れた。
右半身の麻痺(後遺症)がまだ残っているが、微笑を絶やず、振りまき、小学生に声をかけていた。
戦後の復興期に、多くの日本人に夢を与え、経済成長期に話題で日本中を明るくし、バブル期で落ち込む日本を元気づけてきた。
私は、もともと、野球好きではない(サッカー好きである)ので、長嶋茂雄ファンでもないし、長嶋茂雄に詳しくない。だが、団塊世代や野球少年の多くから注目されていて、日本中の感情ムードを左右させるほどの壮大な存在の一人であると、よく理解できる。
長嶋茂雄の復活ぶりさが、日本総国民に奮い立たせ、元気づける(だろう)と、期待したいのだ。

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2006年1月13日 (金)

WFDの新年挨拶

世界ろう連盟公式ウェブで、新年挨拶が出ています。
その写真がなかなかきれいで、皆さん、一度覗きに行って下さい。
URLは次の通り。
http://www.wfdeaf.org/news.aspx#9

同じページの上部に、2005年活動報告が出されています。
英文だけではなく、国際手話による報告を見ることができます。
見出しの右側に、WindowsMediaPlayerとQuickTimeの、2つのボタンがあり、いずれかをクリックして下さい。

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2006年1月11日 (水)

手話コーラスについて

 ろう者の世界の巷では悪名高き『手話コーラス』について、久し振りに、インターネットで検索して、新しい見解・理論があればどんなものかと調べてみた。
 私が時々拝見させていただいている『マンガの中の聴覚障害者』に、いつに作成されたのか知らないが、手話コーラスについてまとめたものの、『手話コーラスについて調べ、考えてみた』ページが、新しく加えられていた。本当に、よくまとまっている。
 私は、正直に言わせれば、聴者による創作『手話コーラス』に感動したことがないのだ。理由は簡単なのだ。言語学側面からみると、「韻律」が滅茶苦茶であり、美しい奏でではないのだ。手話ネーティブさえ、頭中では日本語モードへ切り替えて楽しまないといけないのだ。
手話詩を創作し、奏でているろう者がいる。その方が、感動だ。その手話詩に、リズムをつければ、立派な『手話歌』になれると思う。
 かって、私の講演先で、「手話詩は、聴者が作れますか」と、聞かれたことがあった。
私の返事は、「創作しようか、それは自由だ。しかし、あなたの周辺のろう者、或いは、手話ネーティブがどんな目つきで見られるか、覚悟した方がいいでしょう。その過去事実の一例が、手話コーラスだったのです。」
 カラオケを楽しむろう者がいることの事実を、手話コーラスへ結びつけること自体は、議論展開のし方が間違っていると思う。かくいう私も、たまには、カラオケへ行く。だが、歌詞を見ながら声を出して歌うのではないのだ。又、日本語で書かれた歌詞に手話単語で対応させて、表現したりしない。先に書いた通り、韻律が美しくないから、私は歌いたくないのだ。持ち前のリズム感覚で、手話や身振りで、心地良き「歌」を作ろうと試みているのだ。

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2006年1月10日 (火)

遅ればせながら…

遅ればせながら、新年おめでとうございます。
昨年はいろいろお世話になりました。本年もよろしくお願いします。

昨年は、ラジオNHKによるデジタルラジオの実験放送で、「ハートトーク133(ミルラジ)」試用放送を始めました。ろう者がパーソナリティとなって、聞こえる人をリードして、話題を展開させるという番組企画であり、計6回、放送されました。
従来のラジオではなく、デジタルラジオという新しい技術によるものです。従来のラジオは音声だけですが、デジタルラジオは視覚的なものを同報送信できるものです。その特徴を活かして、聞こえない人達に楽しんでいただけないかと、ラジオNHKから持ち込まれて、始めたのが、先の、「ハートトーク133」です。
2005年後半に、NHK内の不祥事連続が発覚され、視聴者の不満鬱積が爆発して、受信料不払いの増加が留まりませんでした。それが大きなダメージとなって、NHK予算へ衝撃してしまったようです。デジタルラジオの新企画をはじめ、様々な番組企画の予算が大きくカットされたそうです。「ハートトーク133」も予算カット対象となってしまい、惜しく終了となってしまいました。
継続にと訴えましたが、むなしくも「終了」と突きつけられるだけでした。
計6回の放送を通して、NHK関係者担当者から、いろいろ、学ばせていただいたことが沢山あったことが事実です。又、ラジオスタジオの世界、そして、アナウンサーが作り出す世界の垣間を覗くことができ、貴重な経験をさせていただきました。この経験を、今度の機会に活かせるようにしたいものです。

そして、昨年12月18日の「東京都聴覚障害者大会」で公表された通り、来年度4月(2006年4月)から、『副理事長』に就くことになります。理事2期目に副理事長立候補するのは早過ぎるという声もあります。私自身の知見・経験などの未熟さをわかった上で、私自身の持ち前の理念・理論と、手段・対策での対処なら不可能ではないと判断して、立候補しました。『勉強させていただく』のではなく、『先輩の方々の助言を聞きながら、適切な判断を下ろせる』ようにしながら『いい知見・理論をスポンジのように吸収して行こう』と思っています。
皆さん、ご応援のほどよろしくお願いします。

昨年は、いろいろな国々へ行って来ました。
印象に残ったのは、ポーランドの「アウシュツビッツ強制収容所」と「ビルケナウ強制収容所」であり、世界の平和、そして、宗教・民族・言語の共存について考えさせられた日々でした。又、ちょうど、世界第二次大戦終戦60周年にあたり、いろいろな展示企画が出されていて、知見をより広げ、より密にすることができたと思っています。
宗教民族問題は、ろう者-聴者間の「溝」と相似している部分があります。
聴者の慈悲・慈愛は、この「溝」をより広げ、より強めるものだと、長い歴史事実でわかっています。
社会的差異は、差別行為暴走の動機の要因となりがちです。
宗教民族の『共存』、ろう者-聴者間の『共存』は、どんなものでしょうか。
一生のテーマとして、考えて行きたいものです。

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2005年12月30日 (金)

留守

今日、海外へ脱出します。帰国予定は、来年1月10日早朝。
皆さん、よいお年をお迎え下さい。

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2005年12月29日 (木)

リストバンド(聾魂)

P1020292P1020294 左写真は、リストバンド「聾魂」。
東京都聴覚障害者連盟青年部が、来秋に宮崎県で開かれる予定の「アジア太平洋ろう青年キャンプ」へ向けて、カンパに取り組んでいる。1個400円。
 アジア太平洋地域の発展途上国を対象として、自国~日本までの航空費に補助するためだ。発展途上国の多くは、ろう者の社会的位置が低く扱われているため、安給などの金銭事情上、それぞれのろう者が日本へ来ることが容易なことではない。
 各国各地域の、ろう者の社会的位置をより向上させる為には、日本でのキャンプ参加を通して、様々な国々と交流して自信を確立させることが大きな狙いであり、改善向上に取り組んで実現できた国・地域の話を聞くという機会を持たせることが本当に大切だ。
 欲しい方々、協力したい方々は、東京都聴覚障害者連盟青年部へ連絡して下さると、本当に有難い。

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師走の寒い朝

P1020291今日から、ハッピーな冬休み。朝7時半に起床。いつもより遅め。
障子を開けたら、今朝も、ガラス戸は露で凍っているのだ。
それを見る度に、反射条件的に、本当に寒い~ぃと、体中が震えてしまうのだ。

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やっとGoogleにヒット

20051228ようやくGoogleにヒットされるようになりました。
昨日までは、「宮本一郎」と入力しても、「でふ電波」ばかり出ていました。これから、GoogleやYahooなどの検索にヒットされやすくなります。皆さん、ありがとうございます。

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2005年12月26日 (月)

プロフィルを変更

プロフィルに、旅の話を入れました。

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2005年12月25日 (日)

クリスマスイルミネーション at 新宿

P1020285クリスマス連休返上で、都連盟関係の仕事。仕事の合間に、渋谷から新宿へ買い物。
渋谷へ戻る途中で、JR新宿駅南口へ出かけて、イルミネーションを楽しんだ。左写真2枚は、南口の西側(JR東日本本社側)の植木にイルミネーションを飾っているもの。「新宿サザンライト2005-06」のイルミネーションで、大勢
P1020283の見物客で賑している。NTTビルの尖塔により、なかなかいい趣きの雰囲気を醸し出している。

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2005年12月23日 (金)

団塊世代の定年退職

 週刊ダイヤモンド特大号に、「団塊定年」特集が載っている。2年後の2007年に、大量の定年退職が発生されるという話。2年後の60歳定年退職を迎えるとは、今日時点で58歳の方々のことだ。1947年~1949年の3年間のベビーブームが、第一団塊世代となり、復興期から高度成長期に育ち、米国文化のシャワーを浴び、古い慣わしから新しい生活スタイルへ、日本人の文化・精神を大きく変化させたリーダーでもあると思う。
日本経済の波乱か構造改革のチャンスかという記述も載っている。
 ろう協会組織も同様だ。現在、全国津々浦々の協会組織を見ると、ポストの多くは50~60代だ。更に、参加活動も同じく、50~60代が中心だ。
40代以下はどうだろうか。現実では、非常な少なさだ。年齢層別にすると、30代以下が急激に少なくなっている。「ろう協会離れ」という問題現実に直面され、悩んでいる協会が多い。50~60代と、30代以下との関係を見ると、親子の年齢差と同じようなものだ。一体、何かあったのだろうか。

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2005年12月20日 (火)

クリスマスイルミネーションatフォレストイン昭和館

P1020262東京都聴覚障害者大会終了後の祝賀会が開かれたのは、フォレストイン昭和館というホテル。
ロビーに、左写真の、赤系のイルミネーションを沢山つけ、高さが3m近くの、3本のツリーが飾られてある。周辺には、ゴルフ場やどでかいショッピングセンターばかりで、人通りが少なく、暗い。この暗く長い道を歩いて、ようやくロビーに入ると、この3本のツリーに出迎えられて嬉しくなる。

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