2006年9月14日 (木)

バンコクの新国際空港Suvarnabhumi Airport

タイ・バンコクで、新しい国際空港Suvarnabhumi Airportが開港されたと、今朝のニュースで初めて知った(笑)。
開港は9月28日予定、ニュースで開港されたということは、タイ航空運航の一部が移されたということだそうだ。
現在のドンムアン空港は、チャーター便などの運行に使われ、博物館などの建設が予定されているそうだ。
この開港にあたって、いろいろなトラブルがあるらしい。
ともかく、インターネットで調べたら、空港施設の規模が、現在、世界一となったらしいそれも初めて知った(笑)。

総陸地面積:8000エーカー
一時間あたりの離陸便数:76機
国内線カウンター:108
国際線カウンター:252
管制塔の高さ:132m
駐車収容:5000台収容可能な5階建て駐車場×2棟

公式ウェブ(英語版)
http://www.thaiair.info/sbia/index.htm

空港地図:
http://www.thaiair.info/sbia/Masterplan.htm

バンコク都心から東へ27km、車で30分ほどらしい。
電車も走るらしい。

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2006年8月15日 (火)

フンボルト大学の前で何か起きたのか?

DHI2006発表会場のフンボルト大学Humboldt-Universitatは、マルクス、ヘーゲル、アインシュタインらを世界的に著名な学者を輩出した大学として知られている。
正門が開放しているので、見物の人が結構来ているそうだ。更に、裏門から中庭に入ることもできるのだ。

20060730_009ウインター・デン・リンデンという大通り挟んで、大学正門の向かい側に、広場がある。
奥に聖ヘドヴィヒ大聖堂、左隣がベルリン国立歌劇場。

20060730_010 20060730_016その広場で、期間限定の国際展示(上中、上右)が開かれていた。この展示は、世界中に回って、日本では東京で2005年に開かれ、シドニーを回って、ベルリンへ来たそうだ。各々の熊模型にいろいろあしらっているのだ。

しかし、この広場に来て、このユニークな展示を楽しむ人々は、ここで過去に何か起きたか、誰でも想像できなかったと思う。
かくいう私も、7/30に見物した時、展示に目を傾けるばかり、あるものに、全然気付かなかった。
7/31に、ナチとベルリンの歴史を訪れる手話ガイドツアーに参加して、ツアーの最後に、この広場に来た。
何かあるのだろうと、私達が思ったのだ。
広場の中心の、地に四角いガラスを張ったところへ連れられて行くと、ガイドが「下を見ごらん。何か見えますか。」と…。
参加者全員が「本棚」。
私も覗くと、本1冊もない書架が見えた。

< ガイドの説明 >
ナチ時代に、あらゆる出版物がナチの検問対象となり、退廃的なものが全て集めて焼き払われた。
図書館や大学図書館も対象になり、退廃的なものを集められて、ここ(四角いガラスのところ)で焼かれたのだ。
ヘレンケラーの書物も、ここで焼かれたのであろう。
この過ちを繰り返さない為に、記憶に留めるために、ここに碑を置く。

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2006年8月10日 (木)

ベルリン

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左:6月17日通りの中ほどに聳え立つ戦勝記念塔
中:ドイツ連邦議会議事堂の屋上(展望台)
右:ソニーセンターの中

 ドイツ連邦議会議事堂がリフォームされて、弾跡だらけ、まるでにきび顔から、きれいな顔になった。
屋上に、ガラス張りのドームが設けられ、入場無料で入り、ベルリンの町中の展望が出来る。
入場人数が制限されていて、長い行列が出来てしまう(笑)。
 ソニーセンターは、ポツダム広場の一画をソニーとダイムラーの共同出資で再開発したところ。
新しい設計の建築が、見るのに楽しい。新ギャラリーと絵画館の帰りに、休憩として寄るのもいい。

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左:アレキサンダー広場近くのホテルのベランダから眺めたテレビ塔
中:ブランデンブルグ門
右:欧州ホロコスト犠牲者のための記念碑

 高いところに球があると、やはり、不思議な気分になる。
この球みたいなものをよくよく見るとサッカーボールを象っている。そういえば、6月にワールドカップ2006が開かれたのだ。
 ブランデンブルグ門は、1997年頃に行った時と比べて、修繕されてきれいになっている。
だが、当時、車やバスが潜り抜けることができたが、今は、通行できなくなっている。
この門をくぐって東へ進むと、昔へスリップ、西へ進むと、未来へといった、タイムマシンみたいな感覚を楽しめたが、今は、ブランデンブルグ門の東、つまり、旧東ベルリン市街がかなり変ったため、どっちへ潜り抜けても、時間的な感覚がないのだ。
夜11時頃に撮ったのだ(笑)。ベルリンの日暮れは夜10時頃だ。日が暮れて真っ暗になってから、ライトアップを見に行ったわけ(笑)。
 このブランデンブルグ門の南、ポツダム広場へ行く途中に、100m×100mの広さに、黒い墓みたいなモニュメントが2500個位立ち並んでいる。それが、欧州ホロコスト犠牲者のための記念碑。

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2006年6月21日 (水)

モンサンミシェルは昔の姿へ

6/20付のヤフーニュースで、モンサンミシェルを昔の姿へ戻す事業を始めるというニュースが流された。
内容では、フランス政府が、6年計画で、堆積砂の除去作業が開始されたとのことだ。
この作業の終了は、2011年。
まず、堤防道路を壊して歩道橋へ、そして、最終的に駐車場を壊して、この後、観光 客が船に乗って渡ることになるらしい。
入り方が、車か船によって、ガラリと変ってくる。
エジプトに続いて、2012年以降に、行こうと…。

 -----(引用)----
仏の「海上の修道院」取り戻せ…砂の除去開始
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060619-00000415-yom-int

 【パリ=島崎雅夫】フランスの世界遺産・モンサンミシェルの本来の景観を取り戻 すため、仏政府は今月から、小島と陸地の間に堆積(たいせき)した砂を除去する事 業を始めた。

 島の中心部に修道院が建つモンサンミシェルは干潮時は陸続きだが、満潮時には島 全体が海に囲まれ、海の中に“きつ立”するようになる。だが、19世紀後半に島と 陸を結ぶ道路ができたため、潮流が変わり、大量の砂が周囲に堆積。陸続きの時が多 く、幻想的な景観が失われつつある。島はかつて陸地から約4キロ・メートル離れて いたが、現在は砂の堆積で数十メートルの距離しかないという。

 仏政府は6年計画の今回の事業に1億6000万ユーロ(約232億円)を投入。 現在の道路を壊して歩道橋に替え、本来の潮流を復活させるとともに、大量の砂を取 り除く。2011年には堤防道路脇の駐車場を取り壊すため、観光客や巡礼者らはフ ェリーで島に入ることになる。

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2006年6月11日 (日)

大井川鉄道(2)

20060507_032_1雨模様景色の大井川は、悠々と、流れていた。その景色を楽しみながら、駅弁を食った。

20060507_027 20060507_028その駅弁は、「大井川鉄道 SL復活記念30周年 記念弁当」、いわゆる限定版の弁当なのだ。(左写真)
弁当の中身について、特に、特筆すべきことは、茹でて赤味かかった桜えびがたっぷり入っていることだ。(右写真)
ご飯と一緒に食うと、桜えびがさくさくとして、口ごたえがなかなかいい。

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2006年6月10日 (土)

大井川鉄道(1)

全国ろうあ者大会での合間に、金谷~千頭(せんず)までの大井川鉄道の旅を楽しんだ。
往復共、SLに乗車。
車両の振動、揺れが懐かしく甦って来た。
記憶が明らかではないが、恐らく、40年振りだろう。
普段なら、走る車両に揺られて、気持ちよく寝てしまうはずだが、珍しく、往復共、雨の大井川の景色を楽しみながら、ずっと見ていた。
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2006年6月 3日 (土)

2006年国際空港ランキング

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skytraxによる2006年国際空港ランキングが発表された。
総合では、シンガポール・チャンギ空港がトップ。
国内の国際空港トップは、4位の関西空港。
10位以内に、アジアの5空港が入っている。アジアの国際空港の飛躍が目覚しい。
かって一般もビジネスもかなり好評なオランダ・スキポール空港がベスト10から外された。

skytrax
国際空港ランキング結果(英語版)
http://www.worldairportawards.com/Awards-2006/AirportYear-2006.htm

項目別ランキング(英語版)
http://www.worldairportawards.com/Awards-2006/Regional.htm

昨日6/2に、成田空港第一ターミナル南ウィングが改築工事が終わり、オープンされた。この南ウィングの面積だけで、国内空港で最大規模だそうだ。つまり、今まで、国内空港の最大規模であった成田空港第二ターミナルの規模を超えたことになり、第一ターミナル北ウィング+南ウィングの面積がかなり大きいものだということだ。

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2006年6月 2日 (金)

コンゴルド

昨年に英国とフランスにおいて、最速航空機コンゴルドの製造、飛行を終了とすると発表されて、今は、飛んでいない。
世界のどっかで博物館に保管されていると思う。

20060505_022パリ・CDGに、コンゴルドが展示されていることがわかった。
但し、車で或いは徒歩で近くまで行って見ることはできないようだ。
それは、2本滑走路の間にあるから。
空港バスの移動途中で、又は、着陸時の走行途中で、見ることができるでしょう。
展示位置は、CDG2のBターミナルの脇(CDG1方向)。

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2006年6月 1日 (木)

クロアチア紀行(最終)

20060504_010 20060504_012アドリア海沿岸を回って、ヴコヴァルへ行って、ザグレブへ戻って、初めて、手話通訳付の番組を見たのだ。番組はニュースらしい。
左下に、手話通訳のワープが入っている。
だが、凄い対応モード…。唇で喋っているのを見ると、手話は半分位。

クロアチア全体を思ったことを書こう。

・物価が全体的に割高な感じがある。日本の1.2倍かな。
 パン、野菜、果物は安いが、料理や加工物、飲み物となると、ぐっと高くなる。
 ホテルは、高い。ビジネスホテルに相当するホテルさえ、日本では6千円程度なのに、1万円前後。
・治安は悪くない。
・一般人も英語ができる。
・ザグレブのホテルが少ない。

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2006年5月30日 (火)

クロアチア紀行(8)

クロアチア首都のザグレブの町景色も載せよう。

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20060428_094クロアチア内戦からよく守ったなと思うほどであった。戦地からかなり離れていたからかもしれない。
ザグレブの難点は、宿泊が少なく、高い。二つ星のホテルは7000円程度であり、日本の金銭感覚では高いと思う。

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20060504_020左画像は、ザグレブ駅構内から。
ザグレブ駅は、かって、ロンドン~イスタンブル間の華やかなオリエント急行の停車駅だったのだ。貧相な駅舎を見て、かっての華やかな面影が全く感じられなかった。

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2006年5月28日 (日)

タンタンTinTin

タンタンTinTinといったら知ってる!と答えるのは、どの位いるのかな。
知らない方は、次の公式ウェブを見てね。

タンタン日本語版公式ウェブ
http://www.tintin.co.jp/

タンタンは、ベルギー生まれの漫画、エルジェHERGEという漫画家が書いているもの。
ストーリーは主に、海外旅行&冒険を扱ったものが多い。
日本の漫画のように、シンプルな漫画で、見ては疲れず、わかりやすい。

実は、私は、ファンの一人である(笑)。
初めて出会ったのは、パリの書籍で、雑誌の漫画コーナーのところだった。

20060507_032最近、人形の販売を扱っている模型店を、パリで見つけたのだ(ハッピー)。
場所は、ルーブル美術館からパレ・ロワイヤルへ行く途中の、パレ・ロワイヤル広場に面している。

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2006年5月23日 (火)

クロアチア紀行(7)

オシイェックは工業都市だ。
かって工業で栄えた時期があり、その時期に多く建設されたバロック様式建築が今も多く残されている。
ウィーンのような華麗さがないが、町中バロック様式の建築ばかりで、なかなか楽しい。

家の玄関入り口のデザインがなかなかいい。
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20060503_103 20060503_104 20060503_115建築デザイン。
ぶらつくだけでも本当に楽しい。
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20060503_140 20060503_141 20060503_146旧街
左は恐らく役所、中・右は教会



20060503_137旧街の石畳の通り


20060503_139旧街の広場
バロック様式建築に囲まれた広場は、人々が少なく、パリやスペインの騒々しさがなく、静か。
だが、風致地区とか保存などの取り組みもないようで、落書きとか、景色を壊しているところが見られる。
20060503_151クロアチアはスポーツが盛ん。バスケ、バレー、サッカー、水球などのプロ選手を多く輩出することで有名。
夕方になると、どこでも、スポーツを楽しんでいる人々が多い。
20060503_158 20060503_160ホテルの6階から北方向へ眺めた町景色。夜8時頃に撮った。

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2006年5月22日 (月)

クロアチア紀行(6)

5/3朝4時頃、目覚めたら、鉄筋建築群と多い車の景色。
4時半過ぎに、ザグレブのバスターミナルに到着。
2階の切符売り場へ行って、オシイェクOsijek行きのバス時刻を教えてもらって、朝7時半発を選ぶ。切符を入手。

外が明るくなったが、まだ肌寒い。待合室で待つ。
このバスターミナルは、見かけでは、日本人の目には、ショッピングセンターかと思ってしまうほどだ。
2階建てで、2階の切符売り場で切符を入手する。奥へ進むと、待合室だ。その下へ行く階段が、バスに乗るホールへ繋がっている。
7時半発のバスに乗り込む。
街を抜けると、そのバスは、東方向へ真っ直ぐ走り、走った。
進行方向に「サラエボSarajevo」と書かれた標識が多く現れた。かって、サラエボ冬季五輪が開かれたところだ。

途中で北方向へ切り替えた。昼前の11時半頃、オシイェク駅前のバスターミナルに到着。
切符売り場で、ヴコヴァルVukovar行きのバス時刻を確認する。1時間ほどの余裕があるので、まず、駅の東方向の、徒歩5分位のところのホテルへ行き、荷物を預ける。
ヴコヴァル行きのバスに乗り込み、学校帰りの生徒も大勢乗り込む。40分ほど走ると、ヴコヴァルに着いた。
20060503_099 20060503_102ヴコヴァルへ近づくと、爆撃され、焼けただれ、放置されたままの鉄筋ビルが、あっちこっちと目につき、中心へ近づくと増してきた。
弾跡も同様、街中心へ近づくほど、壁が抉られる惨さが増して来た。

ヴコヴァル、この街は、バロック様式の建築が続き、こぢんまりとした美しい街だ。
しかし、ユーゴスラビア連邦崩壊後、クロアチア内戦の激戦地となり、「民族血浄」が広がり、かなり破壊され、悲劇の舞台となったのだ。治まって治安が回復しても、遅々な復旧で、半分近くがまだ放置されたままだ。弾跡が内戦の惨さを語られていて、胸が痛む。
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20060503_092空虚となった建物の前の広場に、新しい像が立っている。
これらの景色を見ていると、日本では、ここが平和公園の中かと錯覚してしまうほどだ。

20060503_086街中心より少し高いところへ向かう道。
この並木も、恐らく、攻撃をくぐり抜けて残されただろう。弾跡の傷が残されていて、痛ましかった。
だが、過去の出来事を語りたがらない証人、或いは、語りたくても語れない証人であろう。
20060503_059街の中で恐らく一番大きいと思われる教会は、何事もなかったように、悠々と立ちそびえている。

20060503_027 20060503_028ドナウ川が黙々と流れている。釣り人も黙々と水面を眺めている。
対岸は、セルビア・モンテネグロだ。

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2006年5月21日 (日)

クロアチア紀行(5)

ドブロブニク旧街は、大勢の観光客で賑わしているが、どこかの片隅で静かな一時を保っていた。
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当時に描かれた多くの絵が博物館や教会で展示されている。
シルクロードへ繋げて海上貿易で富を得て栄えたドブロブニクの旧街で、どんな人物が暮らし、歩き、船に乗って行ったのか、よくわかる。
早足で旧街を巡り回っていると、日が傾いて、蜜柑色が帯びて来た。
そろぞろ、荷物を預けているホテルへ戻らなければならない。

ホテルのカウンターに着くと、キャンセル有無を伺ったが、か細い希望に託した。
フロント係曰く、今夜大勢の団体が来る為、キャンセル有無の確認が難しいとのことだった。

「ザグレブへ戻ろう、そして、他の街へ行こう」

と、脳裏を過ぎった。ホテルへ戻る前に、インフォメーションセンターで、ドブロブニク発ザグレブ行きの夜行バスが3便、出ていることを確認したから。
カウンター係に、夜8時発夜行バスの予約を頼んだ。

バスターミナルの切符売り場で名前を伝えて、切符を受け取る。
待合室で待っていると、客引きがやって来た。安宿(民宿)の客引きだ。泊れるようだ。
ホテルが満杯であっても、安宿(民宿)に泊れるという可能性が残されていることは、どこの観光地にも必ずあるのだ。しかし、吹っかけかどうか、衛生がどうか、あまり気が進まないものだ。「アウィルカムバックツ ザグレブ(ザグレブへ戻る)」と、断る。

夜7時50分頃にバスに乗り込む。
昨日夕方に来た時の同じ道を逆方向(北方向)へ走る。
バス・エンジンの低い呻り音が、車内を響かせている。夢中で歩き回った足の疲れ、さめない感動と興奮の身には、その響き心地が快いものであった。
日が暮れて来た。ずっと北上するバスの窓から、アドリア海に映る夕映えは、黄色、橙色、紫色へと移ってゆく。

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途中で、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの入国だ。入国イミグレーションで、乗客はバス中で待機。
強面の係員が乗り込んで、一人ずつ、パスポートなどを検査する。
全員パスできると、バスが発車。
しばらく走ると、ネウムNeumという町の、白い民家が沢山立ち並んだ美しい湾への展望ができる休憩所に止った。
バス運転手が休憩だと言うと、乗客の多くは急ぎ足で店へ駆け込んだ。
私はトイレかと思ったが、そうではないとわかった。
クロアチアの半分位の値段で買えるのだ。私は、飲み物を多めに買い込んだ。
全員バスへ戻ると、すぐ発った。湾に沿って走ると、すぐ、出国イミグレだ。ずっと走れば、30分ほどであろう。
飛行機に乗っているわけでもないが、入国から出国まで30分間という短さは、不思議な経験となった。日本では経験できないことだ。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの唯一の、海に面する地域だ。

日がとっぷりと暮れて、街灯以外は何もかも見えない。すれちがう車のライトがバスの中を瞬く間に照らして去る。バスの中で静かに寝ながら、夜は更けていった。

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2006年5月19日 (金)

クロアチア紀行(4)

旧街を囲む城郭の上を歩き回ることができる。地球の歩き方によれば、全長で1940m。さっさと歩けば30分位だろう。入場料が50kn(≒1000円)!ゲッ!結構高い。だが、歩かなければ損だ。
歩いてみれば、もう感激しっぱなし。

沖の島は、ロクルム島Lokrum(東方向)
夏になれば、紺碧色の海をバックにしたオレンジ色屋根の旧街ってきれいだろうと想像する。

20060502_168ドブロブニク旧街のオレンジ色屋根景色に感激している私


本当にオレンジ色屋根だけの景色
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城郭の上の道は、こんなもの。昔、兵士が歩いて守ったのだ。かって、兵士が歩いた苦心の道を、今、私達が歩いて楽しんでいる。
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城郭の上から見た景色もアップしよう。
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20060502_018ドブロブニク旧街の東沖に、ロクルム島が浮かんでいる。野生動物などの観察にもってこい。
ドブロブニク旧街の波止場から10分位。1時間に1本。往復の切符を買って乗る。
ドブロブニク旧街波止場から船に乗って、沖へ出たところ。
城郭は完全な形で残されているので、沖から見ると、遥かな昔の中世の景色を思い浮かべることができる。

20060502_036ロクルム島の一番高いところ(たぶん標高25m位)に展望台がある。展望台から、ドブロブニクの旧街が見える。港から徒歩で20分位。

20060502_041地元の人々が出入りできる小さな波止場が、幾つかあり、そのうちの一ヶ所。そばに、若い恋人が昼寝していた。

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2006年5月17日 (水)

クロアチア紀行(3)

5/1朝にバスターミナルへ行って、昼2時45分にドブロブニク行きのバスが出ることを確認する。
ホテルへ戻って寛ぐことにした。というのは、雨が降って寒いから。雲が低く垂れ込んでいた。

左から、城郭の外のトミスラフ広場、トミスラフ広場から門へ、聖マルコ大聖堂、城郭内の街・路地
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左から、東側から、城郭から東方向へ、城郭から南方向へ、城郭から東方向へ
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20060430_080船から下りる人々、寒そうな感じ。





20060430_136南西の位置からコルチュラの旧街を眺める。半島の上に建物に覆われていることがよくわかる。

20060501_018オレビッチへ向かうフェリーから眺めたコルチュラ

バスに乗り、フェリーに乗り込み、10分位走ったら、オレビッチに着いた。船から出て走り出したバスの軽やかなエンジン音は、いよいよドブロブニクだと胸躍る気分と相重なっているように思えた。

20060501_022しかし、2時間ほど走って、そのバスがピッチに陥った。
何か漏れたらしい。走ると、後ろから油臭い蒸発がモワモワと…。
運転手が整備士へ変身。乗客の皆が、バスが再び走れることを祈っている。

1時間ほどしたら、バスが走れるようになった。乗客全員が拍手。
再び走り出して、2時間ほど走る。
大きな橋を渡って、ドブロブニク・バスターミナルに到着。1時間ほど遅れて、夕方6時45分頃。陽がまだ沈んでいないのが幸い。

20060501_044 20060501_045日が暮れないうちに、ホテルを探して確保しないといけない。インフォメーションセンターで、ホテル・マップをもらって、1軒目へ向かう。15分ほど。満杯だ(愕然)。2軒目も満杯だ(愕然)。
再び歩いて探すのはきついので、カウンター係員に、空いているホテルを紹介してくれないかとねだる。電話で探してくれて、徒歩10分位のホテルを確保。感謝を伝えて、日が暮れて真っ暗になった道を急いで歩く。
新しく開業したばかりホテルだ。
翌日も泊りたいがOKかと問い合わせると、翌日5/2は満杯で駄目だとのこと(愕然)。

5/2朝の空を見上げると、いい天気になりそうだ。クロアチアに来てからずっと雲か雨だった。

20060502_070地図をチェックして、ホテルから旧街まで徒歩で20分位かかりそうだ。行きは歩いて、帰りはバスにする。
ホテルを出て、坂道を下って(北上)、左に湾を眺めながら西へ曲がって直進。上り坂を5分間ぐらい歩いて、それから、緩やかな下り坂をずっと歩く。 右に、海が眺められる。
その道の奥に、旧街入り口のピレ門らしいのが見える。

20060502_072 20060502_073 20060502_076ピレ門前の広場での、左、前、右

第一印象は、頑丈な城郭が完全な形で残されていることであった。

20060502_087ピレ門をくぐって、広大な直線のプラツァ通り。
白い石畳がまぶしい。
建築様式が、ヴェネチアの建築とほぼ同じだ。 同年代に町が栄えたことがよくわかる。


20060502_123_1城郭を出ると、小さな湾に、2本の波止場、沢山の小型船を泊めている。わあぃ、きれいだと感激。

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2006年5月16日 (火)

クロアチア紀行(2)

リエカを発って、船に揺られながら夜を明かす。

20060429_048翌朝は、スプリットのディオクレティアヌス宮殿に迎えられた。
潮風に吹かれながら悠々と揺れるフェニックス並木の景色がなかなか快い。

この宮殿は、かって大きな館だったと、誰が見ても理解するのに難しい。かって、幅120m×奥150mほどの規模であり、上から見れば4つの中庭を抱えた「田」型の、大きな館であった。
ディオクレティアヌス帝が、ローマ皇帝を退いた後、住んだところ。西山荘版と解釈してよかろう。
7世紀に攻撃されて崩壊され、頑丈な城壁と史跡のみ。
観光のクライマックスは、ペリスティル(次の左)。
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20060429_119バスで、スプリットから北西方向へ40分間位揺られて、トロギールへ。

20060429_113もと城郭で囲まれた街で、攻撃に備えて、水路を作って、陸地を切り離したという。水路を跨る石橋が、街への入り口。

20060429_077海側の景色。


20060429_061街中の石畳小路。
街全体がが大きくないが、隈なく巡る石畳小路を踏み歩くのになかなか快い。遥か昔の人達も、このように踏み歩いて、快く思ったのだろう。


20060429_198 20060429_202水中翼船で、スプリットからフヴァルHvarを経由してコルチュラへ。北西の波止場に下りて、オレンジ色屋根の、いろいろな彩りの家並びの景色が目に飛び込んで来た時、胸が躍った。

20060429_214コルチュラの城郭外の南500m先のホテルへ投宿。
ホテル玄関から撮った夜景。
ゆっくりと濃い紺色の空に包まれつつ、ゆっくりと眩い白色の点灯が灯りつつ、時間がゆっくりと流れていった。

胸が躍ったのはいいが、翌日4/30にあっけなく凹んでしまったのだ。
それは、4/30 14:45発のバスでドブロブニクへ移動しようと考えたのがいけなかったのだった。
アドリア海では、4/30午後から5/1午前まで、メーデー(祝日)の為、バスも船も運休同様になった。

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2006年3月11日 (土)

放送記念碑

20060301_031JR山手線・田町駅東口を出てすぐ下に、『放送記念碑』が立っている。
実は、1991年から1996年頃まで、芝浦(JR田町駅東側)へ通勤していたが、この碑の存在は全く知らなかったのだ(笑)。
耳の日記念文化祭が始まるまで時間がまだあって、JR田町駅東口をちょっと出て見た時、初めて見かけた。東京工業大学附属科学技術高等学校の敷地を食い込むように、この碑が立っている。

詳細は「発祥の地コレクション」の『放送記念碑』で見ていただくことにして、大正十四年三月二十二日午前九時三十分に、「JOAK」の放送電波を発した証のもの。

NHKラジオで出演しなかったら、その碑を見つけても、全く考えなかったかもしれない。
NHKラジオ出演を通していろいろ経験し、「放送」の存在意義を考えさせられるのにいい機会をいただいた後に、その碑を見かけて、尊厳な気持ちで仰いだ。

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2006年2月17日 (金)

神戸空港内

昨日、2月16日に、神戸空港”マリンエア”が開港された。関西圏に、伊丹、関西、新たに神戸が加わり、3空港となった。評判は良し悪し、いろいろだ。
空港内に、視線が必ず向けてしまうインテリーがある。それは、次の写真。左が全体であり、2階分の高さ、下がエレベータのドア。
20060212_03120060212_030 スクリーンの半球状があるのだ。針時計になったり、地球となったりしている。右の写真が、地球となった時、各現地での時刻が表示される。
 なかなかユニークな発想で、なかなか面白い。

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2006年2月13日 (月)

山口で(4)

20060211_02320060211_025 2/11夜当時、新山口駅周辺でjは、左写真のように霧がかかっていた。飲み会仲間の一人が「『ガス燈』だね」と言い出した。劇団メンバーである、他の一人が悪役を演じたのだ。
 ろう者世界では、話題の切り盛りに、テレビ・映画などを入れることが一般的なこと。テレビ映画にお通ではないのだ。時々、手話学習者や手話通訳者に「テレビ映画に詳しいですね」と言われて、盛り上がった話が吹き飛ばされたかのようにシラケてしまうことが度々あるのだ。
 聞こえる人達のうちには、(音声)せりふを語る俳優・女優をまねるように喋るということがよくあるのだ。仲間らとの話し合いを盛り栄えるための「潤滑剤」の役割を果たしているだけであり、「お通」ではないと思う。
同じように、ろう者世界では、テレビ・映画で俳優・女優が演ずるようにまねて、周辺に笑わせて、盛り上がらせている。
 その辺りを誤解して話してしまって、話を白けさせてしまわないうちに、ろう者世界の生き方をよく観察して欲しいと思う。

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山口で(3)

20060211_021 山陽新幹線・新山口駅の北口ロータリーの中央に立っている徳利像。
 上に傘みたいにかぶせているのは、たぶん、さかずきだろう。
「おごおり」と記してある。そう、その駅は、山陽新幹線開通当時、「小郡」駅だったのだ。ここ、辺りは、「小郡市」だったと思う。山口市と合併された後、山口市となり、駅名も「新山口」駅となったのだろう(経緯を調べていないので、あくまでも推測)。仲間との飲み会の帰りに、「おごおり」を残しているところを見つけて、デジカメでパッチリと撮ったのだ。

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2006年1月17日 (火)

スターフライヤー

Hdr_logo_sf北九州空港が3月19日開港されると共に、新しい航空会社「スターフライヤー」が運航開始予定。
Img_airbus_01機体カラーは黒らしく、なかなかユニークだ。北九州~羽田のみだが、早朝から深夜まで1時間1本という点が、サービスの新しい発想だ。
黒いボディ、黒い椅子、乗ってみたくなる。仕事や会議帰りで疲れた身には、落ち着いてリラックスできるかもしれない。スチュワーデス&スチュワードの制服も黒系かな。

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2006年1月15日 (日)

日が昇る

20060110_086日本時間の朝5時頃、左窓で、夜空の遥か向こうに、、突然、黄金色の短い直線が現れ、瞬く間に左右へ伸びて行く。
黒い蓋をゆっくりと開けて行くようにして、蓋の黒色が淡くなり、灰色となり、そして、青へと。
そして、よりまばゆい黄金色の、短くうねるような曲線が浮かび上がり、そのまばゆさが増してくる。

眺めながら、武者震いを覚え、新たな気持ちを。

下は、雲の隙間から見えた、群馬県の雪景色。

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2006年1月13日 (金)

すっきり!

20060101_037年を越した正月の昼、RIU Palace Maspalomas Hotel Gran Canariaの正面玄関前の交差点で南方向へ撮った、真っ青な空に、真っ赤な看板と真っ白いホテル。
あぁすっきりする。

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パリ夜景(エッフェル塔)

20060108_052デジカメLUNAXで、シャッターを長くするように設定して撮ったもの。手振れがあったが、まぁ、雰囲気的にはいい。
エッフェル塔が白く見えるのは、エッフェル塔に膨大な量のフラッシュをつけられて、しきりに(フラッシュが)たたかれていた。
下の白い線は、車ライト。

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2006年1月12日 (木)

パリ夜景

20060108_05620060108_0632006年1月8日の夜7時半頃。
シャンゼリセ通りのイルミネーションが外されていた。
だが、コンゴルド広場で、なぜか、鮮やかなイルミネーション。
夢中で写真を撮りながら移動していると、収録中だと気づいた。
シャンゼリセ通りの奥に立っている凱旋門をパチパチと撮りまくって、収録の合間らしいとタイミングを狙って、クリスマスイルミネーションに囲まれた噴水をパチパチと撮りまくった。シャンゼリセ通りの夜景を見に来た観光客に人気があったようだ。
最初、テレビのニュースと思ったが、様子を見ると、どうも違うようだ。韓国のテレビか映画かのロケだったみたい。

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「炎」モニュメント(アルマ交差点)

20060108_042ダイアナ元皇太子后の事故現場へ行こうと思う方々の為に、地図を出しておこう。指で指しているところが「炎」モニュメントが立っているとこ。
 <行き方>
  地下鉄9番路線のAlma Marceau(アルマ・マルソー)駅下車が一番近い。
  他に、RER C線Pont de l'alma(ポン・ヅ・ラルマ)駅下車、Alma橋を渡る。

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2006年1月11日 (水)

Mont Saint Michel (2)

20060106_016RENNES駅前のバスターミナルから1時間半ほどバスに揺られて、限りなく続いている田園風景の遥か先に、林の影から、陽炎のように忽然と現れ出したのは、モンサンミッシェルの遠景(左写真)。

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Mont Saint Michel (1)

20060106_05920060106_099モンサンミッシェルの要塞の中には、展望できるところが沢山ある。左写真2枚は、展望から、浅瀬の模様を撮ったもの。遥か1000年以上前、その展望から眺めた人達は、何を思い、感じたのだろうか。

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アルマ交差点

20060108_02420060108_02620060108_032_1





アルマ交差点Alma

それは、車がトンネル内の柱(右写真)に激突して、ダイアナ元皇太子后が亡くなられたところ。
その位置に、「炎」モニュメントが立っている。(左写真)
先に20人ほどの集団が訪れていた。更に、周辺には、沢山メッセージを書き残していたので、訪れる人を絶やしていないと、よくわかるものであった。(中写真)
偶然の重ね合いだろうか、地下鉄出口からそのモニュメントを眺めると、エッフェル塔へ向かって、米国手話の「I Love You」サインをかざしているように見える。

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2005年12月26日 (月)

プロフィルを変更

プロフィルに、旅の話を入れました。

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2005年12月23日 (金)

オルリー美術館の時計

_025オルリー美術館の時計の裏から見ると、パリの過去の街を眺めているような、不思議な気分。

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