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2011年4月 4日 (月)

東北関東大震災の被災地・仙台市へ

3月11日に、東日本太平洋岸の大部分が津波に襲われ、多くの命が奪われたという未曾有の震災が起きた。

私は、3月12日~13日に行われる予定だった全日本ろうあ連盟理事会に出席するため、直前の日に浅草のホテルに泊ることになっていた。
ホテルに着いてしばらく経ったら、突然、激しい地震が起きた。
激しい縦揺れの後に、大きな横揺れが長く続いた。私は、ホテルの階段で身構えた。壁が揺らぎ、手すりもガタガタと揺れていた。
関東大地震の再来かと思うほど、生きた心地がしなかった。
5分以上経って、弱まって、止まった。
その後に、震度5度以上の揺れが数回繰り返した。

その後の浅草はどうなったか?
地下鉄やJR、東武が運休となったのだ。
私は、当日夜の(青砥駅近くの)葛飾シンフォニーでの会議へ出かけようと思った時、運休だと初めて気付いた。
浅草の見物に来ていた大勢の人達の足に大きな打撃となった。バス停やタクシー乗り場に長い行列ができた。
道路には渋滞が起きた。
その行列が夜中11時頃を回ってもまだ続いていた。

夜中のテレビでは、東北地方の太平洋岸に大きな津波が襲ったのだと流れていたが、翌朝になるまで、大規模な被害となると思ってもしなかった。
翌朝になって、太平洋岸の多くの市町村が壊滅されたこと、未曽有の震災だとのこと、紙面を見て驚かされるばかりであった。

        ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

3月12日午前に、全日ろう連において、「東日本大震災聴覚障害者救援中央本部」が立ち上げられた。
24日に、宮城県へワゴンで救援物資を送るという話が出た。
26日~28日、ワゴンを運転して、救援物資を届けて、そのワゴンも引き渡して、自分たちは動ける交通機関で帰京するという行程であった。

        ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

3月26日朝、立川の日産レンタカーからワゴンを借りる。
全日ろう連本部事務所へ運転して、救援物資を車内へ積み上げて、正午過ぎに出発。
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動画がみられます。
http://www.ustream.tv/recorded/13573451

飯田橋から高速道に入り、東北自動車道へ出て、北東東へ進む。
車は重くなっているが、威勢のいい走りであった。

埼玉を過ぎて栃木県に入ると、トラックやガソリンタンク車が結構多い。
救援物資を積み込んだ車も結構多くみられた。皆、北東東へ向けているのだ。
自衛隊の車、救急車、製造メーカーの車、水道・ガス・道路・建設業の車が多くなってくる。
福島に入ると、ひび割れや凹みを埋めたと思われる路面の修理が結構多くみられ、車が時々ジャンプすることがあった。右窓を見ると、東北新幹線の柱が倒れているのが見えた。
左窓を見ると、青シートで屋根を覆った民家があっちこっちに。

車の走りが重くなったようだ。

20110327_015夜中6時頃に仙台に入る。
宮城県ろうあ協会事務所のある宮城県障害者センターに着いたのは、日が暮れた後の6時半頃であった。
事務所で作業をしていた小泉理事長、平間副理事長、宮澤氏を見つけて、「救援物資を届けに来ましたよ」と伝えた。

翌日の27日は作業の協力。その傍らに、私は、仙台市のろう者と談話しながら、今必要としているものを調べる。
調査作業が一段落して、28日の東京行きのバスを確保。
確保できると、小泉理事長へ翌日28日に帰京することを話した。
その後に、津波被災の仙台港南部(北荒田という町)へ連れていただいた。
20110327_053 20110327_056 20110327_097海から3~4kmに、コンテナや車、家の瓦礫が…。そこが、津波が止まったところだ。
しばらく走ると、瓦礫が積み上げられ、頑丈な車やトラックが押し潰されていた。鉄筋ビルの1階と2階が突き破られていた。海近くの民家がさらわれて何もかもなくなっていた。
戦争を見ているかと思った。

        ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

ワゴンの引き渡しをした後、翌朝、(東北新幹線不通のための)緊急車両としての東京方面の高速バスが、仙台駅前に沢山並んでいた。

        ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

津波被災地の皆さん、かんばって下さい。
全国各地のろう者仲間が応援しています。
そして、津波被災地のろう者や関係者らを助ける皆さん、復興協力をよろしくお願いします。
心を一つになりましょう。

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