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2008年1月14日 (月)

フィリピンの英雄

20071228_016 20080101_045首都のマニラ首都圏中心を歩くと、先進的な都会と変らない街であり、フィリピンらしさが未だに沸かない。
道路で走る多数のジプニーが、マニラ首都圏のど真ん中にいながら、フィリピンを実感できる唯一のもの。
マニラ首都圏の中心・マニラ市の北隣・キアポ市、そして北部の人口規模や面積が大きいケソン市は庶民の街であり、フィリピンの雰囲気を味わえると伺っている。
行って見ると、フィリピンらしさを実感するのに困難であった(笑)。
わかりやすく言わせれば、スペインの低所得層住宅地の路地に、大勢の華僑が住んでいるというイメージであった。

それから、地元のろう者に案内してもらって、フィリピンの英雄伝説に触れる機会があった。
現在のフィリピンが成立された歴史の一部を知るのに有意義なことであり、皆さんも、是非、知って欲しいと思い、書きます。

フィリピンの英雄は、たぶん沢山いるかもしれあいが、今回は二人を挙げよう。

20080101_046 20080101_051ラプラプlapulapu
左画像2枚が、リサール公園東の、ラプラプ立像。
1521年4月、セブ島近くのマクタン島で、マゼラン軍と戦って破り、マゼランを倒した(マクタン島の戦い)という。
フィリピン人アイデンティティが最初に形成されたと見方もできる。
<参考>
http://history.husigi.com/VHv2/koneta13.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%97

20080101_002 20080101_0322枚が、ホセ・リサールJose Rizar。
左がサンチャゴ要塞内、右がリサール公園西。
スペイン領時代の抑圧から解放されようと、フィリピン独立運動の英雄。
フィリピン先住民、中国、スペイン、日本の混血であるが、スペイン政府に対してフィリピン人として立ち上がり、最後に、銃殺死刑により人生にピリオドを打たれた。
毎年12月30日が、リサールの日として、崇められている。
<参考>
http://homepage1.nifty.com/pdo/joserizal.htm
http://www.geocities.jp/bane2161/risa-ru.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%BB%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%AB

リサール公園東・リサールモニュメントの近くに、リサール記念館がある。
「記念館」とは名ばかりで、建物がなく、野外にいろいろな銅像が置かれてあるところだ。
銅像で銃殺刑シーンを再現しているので、初めて見た時、私は躊躇した。
20080101_034 20080101_036 20080101_037


リサール記念館の位置は、ホセ・リサールの銃殺刑が行われた場所。
リサール銅像(左画像の左に倒れかかる像)の背中に、撃たれた跡の3ヶ所を実現している。
銃殺刑の周りに、リサールの生い立ちを物語る銅像が並んである。その真ん中辺りに、母の失明を動機として、眼科医者になったという銅像もある。

20080101_006 そして、スペイン時代に造られたというイントラムロスの北部に、サンチャゴ要塞があり、スペイン、英国、米国、日本、そして、米国へと、軍事根拠地として使われた建物がある。
説明板を読むと、なぜか、日本占領時代の悪事について、スペインなどより、数行多く書かれている。
米国にとって都合の良い記述となっているように思えた。
20080101_008スペイン領時代のサンチャゴ要塞への門。その門を出ると、イントラムロスの中であり、スペイン領時代の街が広がる。周りには城壁が囲まれている。その街には、スペイン人と、その混血しか住めなかったそうだ。


20080101_023 20080101_026左は、カーサ・マニラ博物館前のルナ通りGen Luna St.。右は、イントラムロス西側城壁の上から見たサン・ルシア通りSanta Lucia St.。
その辺りの街は、スペイン領時代の建築が並んでいる。
そういえば、バルセロナの小ぢんまりとした下町景色を思い出されるような町並みである。
20080101_020 20080101_028左は、サン・オウガスチン教会、右は、ルナ通りを南下して城壁を出るところ。そのまま南下すると、リサール公園へ出る。
20080101_027サン・ルシア通りを南下して突き当たりのところに、城壁を登って展望できる広場がある。
西に、マニラホテルの高層ビルが建ち、南方に、マニラ首都圏の高層ビル群の景色を眺めることができる。
この景色を眺めながら、この城壁は、マニラの今昔を物語る存在ではなく、フィリピン人アイデンティティ形成の節目の存在であるように思えた。

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