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2006年8月10日 (木)

ホロコスト:生死の分かれ道

 DHI2006の発表会場で、ホロコストの生き残りの証人のユダヤ系の方々の話を聞く機会があった。
彼らの話を聞いて、本当に心が痛んだ。
自分の命より、特に、別れて去る友人知人を思う「心の傷」が計り知れぬものだ。

<アムステルダム在住の80代のユダヤ系ろう女性の話>
 暗く狭い貨物車の中で長く長く揺られて、そして、名前知らぬ駅ホームに降り立った。どこの駅なのか、どこの畑なのか、どこの森なのか、教えてくれなかった。
降り立ったホームが生死の分かれ道であるとは、全員、思ってもいなかった。
ろう女性は「ろうあ」という意味の単語のゼッケンを胸一杯につけられていた。
左右に分かれる時、 母からゼッケンを取って捨てろうと急かされ、嫌々しながら剥がして捨てた。
左に並び、家族を一緒だ、バラバラにならなくて済んだ。
右に並んだ人々のうちに、同じゼッケンをつけた人を見つけた。
このゼッケンを剥がして捨ててと身振りを伝えようとしたが、向こうは、ありがとうという投げキスばかりしていた。
顔を前へ振り向くまで、投げキスを続けた。こっちは、力を振り絞って手を振った。
向こうが前向くと、行列の進む方向へ去った。
それが二度と会えることがなかった。

<ベルリン・ユダヤろう学校>
20060802_001 この写真は、第二次大戦当時のベルリン市内のろう学校4校のうちの、唯一のユダヤ学校へ通う子供達。
先生も子供も全員、ホロコストの犠牲となり、命が奪われてしまった。
子供の純な眼差し、そして、女先生の優しい眼差しを見ると、本当に心が痛む。
ベルリンのろう学校児童生徒147名が、ホロコストの犠牲になった。

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