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2006年5月22日 (月)

クロアチア紀行(6)

5/3朝4時頃、目覚めたら、鉄筋建築群と多い車の景色。
4時半過ぎに、ザグレブのバスターミナルに到着。
2階の切符売り場へ行って、オシイェクOsijek行きのバス時刻を教えてもらって、朝7時半発を選ぶ。切符を入手。

外が明るくなったが、まだ肌寒い。待合室で待つ。
このバスターミナルは、見かけでは、日本人の目には、ショッピングセンターかと思ってしまうほどだ。
2階建てで、2階の切符売り場で切符を入手する。奥へ進むと、待合室だ。その下へ行く階段が、バスに乗るホールへ繋がっている。
7時半発のバスに乗り込む。
街を抜けると、そのバスは、東方向へ真っ直ぐ走り、走った。
進行方向に「サラエボSarajevo」と書かれた標識が多く現れた。かって、サラエボ冬季五輪が開かれたところだ。

途中で北方向へ切り替えた。昼前の11時半頃、オシイェク駅前のバスターミナルに到着。
切符売り場で、ヴコヴァルVukovar行きのバス時刻を確認する。1時間ほどの余裕があるので、まず、駅の東方向の、徒歩5分位のところのホテルへ行き、荷物を預ける。
ヴコヴァル行きのバスに乗り込み、学校帰りの生徒も大勢乗り込む。40分ほど走ると、ヴコヴァルに着いた。
20060503_099 20060503_102ヴコヴァルへ近づくと、爆撃され、焼けただれ、放置されたままの鉄筋ビルが、あっちこっちと目につき、中心へ近づくと増してきた。
弾跡も同様、街中心へ近づくほど、壁が抉られる惨さが増して来た。

ヴコヴァル、この街は、バロック様式の建築が続き、こぢんまりとした美しい街だ。
しかし、ユーゴスラビア連邦崩壊後、クロアチア内戦の激戦地となり、「民族血浄」が広がり、かなり破壊され、悲劇の舞台となったのだ。治まって治安が回復しても、遅々な復旧で、半分近くがまだ放置されたままだ。弾跡が内戦の惨さを語られていて、胸が痛む。
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20060503_092空虚となった建物の前の広場に、新しい像が立っている。
これらの景色を見ていると、日本では、ここが平和公園の中かと錯覚してしまうほどだ。

20060503_086街中心より少し高いところへ向かう道。
この並木も、恐らく、攻撃をくぐり抜けて残されただろう。弾跡の傷が残されていて、痛ましかった。
だが、過去の出来事を語りたがらない証人、或いは、語りたくても語れない証人であろう。
20060503_059街の中で恐らく一番大きいと思われる教会は、何事もなかったように、悠々と立ちそびえている。

20060503_027 20060503_028ドナウ川が黙々と流れている。釣り人も黙々と水面を眺めている。
対岸は、セルビア・モンテネグロだ。

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