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2006年5月30日 (火)

クロアチア紀行(8)

クロアチア首都のザグレブの町景色も載せよう。

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20060428_094クロアチア内戦からよく守ったなと思うほどであった。戦地からかなり離れていたからかもしれない。
ザグレブの難点は、宿泊が少なく、高い。二つ星のホテルは7000円程度であり、日本の金銭感覚では高いと思う。

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20060504_020左画像は、ザグレブ駅構内から。
ザグレブ駅は、かって、ロンドン~イスタンブル間の華やかなオリエント急行の停車駅だったのだ。貧相な駅舎を見て、かっての華やかな面影が全く感じられなかった。

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2006年5月28日 (日)

タンタンTinTin

タンタンTinTinといったら知ってる!と答えるのは、どの位いるのかな。
知らない方は、次の公式ウェブを見てね。

タンタン日本語版公式ウェブ
http://www.tintin.co.jp/

タンタンは、ベルギー生まれの漫画、エルジェHERGEという漫画家が書いているもの。
ストーリーは主に、海外旅行&冒険を扱ったものが多い。
日本の漫画のように、シンプルな漫画で、見ては疲れず、わかりやすい。

実は、私は、ファンの一人である(笑)。
初めて出会ったのは、パリの書籍で、雑誌の漫画コーナーのところだった。

20060507_032最近、人形の販売を扱っている模型店を、パリで見つけたのだ(ハッピー)。
場所は、ルーブル美術館からパレ・ロワイヤルへ行く途中の、パレ・ロワイヤル広場に面している。

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2006年5月23日 (火)

クロアチア紀行(7)

オシイェックは工業都市だ。
かって工業で栄えた時期があり、その時期に多く建設されたバロック様式建築が今も多く残されている。
ウィーンのような華麗さがないが、町中バロック様式の建築ばかりで、なかなか楽しい。

家の玄関入り口のデザインがなかなかいい。
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20060503_103 20060503_104 20060503_115建築デザイン。
ぶらつくだけでも本当に楽しい。
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20060503_140 20060503_141 20060503_146旧街
左は恐らく役所、中・右は教会



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20060503_139旧街の広場
バロック様式建築に囲まれた広場は、人々が少なく、パリやスペインの騒々しさがなく、静か。
だが、風致地区とか保存などの取り組みもないようで、落書きとか、景色を壊しているところが見られる。
20060503_151クロアチアはスポーツが盛ん。バスケ、バレー、サッカー、水球などのプロ選手を多く輩出することで有名。
夕方になると、どこでも、スポーツを楽しんでいる人々が多い。
20060503_158 20060503_160ホテルの6階から北方向へ眺めた町景色。夜8時頃に撮った。

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2006年5月22日 (月)

クロアチア紀行(6)

5/3朝4時頃、目覚めたら、鉄筋建築群と多い車の景色。
4時半過ぎに、ザグレブのバスターミナルに到着。
2階の切符売り場へ行って、オシイェクOsijek行きのバス時刻を教えてもらって、朝7時半発を選ぶ。切符を入手。

外が明るくなったが、まだ肌寒い。待合室で待つ。
このバスターミナルは、見かけでは、日本人の目には、ショッピングセンターかと思ってしまうほどだ。
2階建てで、2階の切符売り場で切符を入手する。奥へ進むと、待合室だ。その下へ行く階段が、バスに乗るホールへ繋がっている。
7時半発のバスに乗り込む。
街を抜けると、そのバスは、東方向へ真っ直ぐ走り、走った。
進行方向に「サラエボSarajevo」と書かれた標識が多く現れた。かって、サラエボ冬季五輪が開かれたところだ。

途中で北方向へ切り替えた。昼前の11時半頃、オシイェク駅前のバスターミナルに到着。
切符売り場で、ヴコヴァルVukovar行きのバス時刻を確認する。1時間ほどの余裕があるので、まず、駅の東方向の、徒歩5分位のところのホテルへ行き、荷物を預ける。
ヴコヴァル行きのバスに乗り込み、学校帰りの生徒も大勢乗り込む。40分ほど走ると、ヴコヴァルに着いた。
20060503_099 20060503_102ヴコヴァルへ近づくと、爆撃され、焼けただれ、放置されたままの鉄筋ビルが、あっちこっちと目につき、中心へ近づくと増してきた。
弾跡も同様、街中心へ近づくほど、壁が抉られる惨さが増して来た。

ヴコヴァル、この街は、バロック様式の建築が続き、こぢんまりとした美しい街だ。
しかし、ユーゴスラビア連邦崩壊後、クロアチア内戦の激戦地となり、「民族血浄」が広がり、かなり破壊され、悲劇の舞台となったのだ。治まって治安が回復しても、遅々な復旧で、半分近くがまだ放置されたままだ。弾跡が内戦の惨さを語られていて、胸が痛む。
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20060503_092空虚となった建物の前の広場に、新しい像が立っている。
これらの景色を見ていると、日本では、ここが平和公園の中かと錯覚してしまうほどだ。

20060503_086街中心より少し高いところへ向かう道。
この並木も、恐らく、攻撃をくぐり抜けて残されただろう。弾跡の傷が残されていて、痛ましかった。
だが、過去の出来事を語りたがらない証人、或いは、語りたくても語れない証人であろう。
20060503_059街の中で恐らく一番大きいと思われる教会は、何事もなかったように、悠々と立ちそびえている。

20060503_027 20060503_028ドナウ川が黙々と流れている。釣り人も黙々と水面を眺めている。
対岸は、セルビア・モンテネグロだ。

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2006年5月21日 (日)

クロアチア紀行(5)

ドブロブニク旧街は、大勢の観光客で賑わしているが、どこかの片隅で静かな一時を保っていた。
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当時に描かれた多くの絵が博物館や教会で展示されている。
シルクロードへ繋げて海上貿易で富を得て栄えたドブロブニクの旧街で、どんな人物が暮らし、歩き、船に乗って行ったのか、よくわかる。
早足で旧街を巡り回っていると、日が傾いて、蜜柑色が帯びて来た。
そろぞろ、荷物を預けているホテルへ戻らなければならない。

ホテルのカウンターに着くと、キャンセル有無を伺ったが、か細い希望に託した。
フロント係曰く、今夜大勢の団体が来る為、キャンセル有無の確認が難しいとのことだった。

「ザグレブへ戻ろう、そして、他の街へ行こう」

と、脳裏を過ぎった。ホテルへ戻る前に、インフォメーションセンターで、ドブロブニク発ザグレブ行きの夜行バスが3便、出ていることを確認したから。
カウンター係に、夜8時発夜行バスの予約を頼んだ。

バスターミナルの切符売り場で名前を伝えて、切符を受け取る。
待合室で待っていると、客引きがやって来た。安宿(民宿)の客引きだ。泊れるようだ。
ホテルが満杯であっても、安宿(民宿)に泊れるという可能性が残されていることは、どこの観光地にも必ずあるのだ。しかし、吹っかけかどうか、衛生がどうか、あまり気が進まないものだ。「アウィルカムバックツ ザグレブ(ザグレブへ戻る)」と、断る。

夜7時50分頃にバスに乗り込む。
昨日夕方に来た時の同じ道を逆方向(北方向)へ走る。
バス・エンジンの低い呻り音が、車内を響かせている。夢中で歩き回った足の疲れ、さめない感動と興奮の身には、その響き心地が快いものであった。
日が暮れて来た。ずっと北上するバスの窓から、アドリア海に映る夕映えは、黄色、橙色、紫色へと移ってゆく。

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途中で、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの入国だ。入国イミグレーションで、乗客はバス中で待機。
強面の係員が乗り込んで、一人ずつ、パスポートなどを検査する。
全員パスできると、バスが発車。
しばらく走ると、ネウムNeumという町の、白い民家が沢山立ち並んだ美しい湾への展望ができる休憩所に止った。
バス運転手が休憩だと言うと、乗客の多くは急ぎ足で店へ駆け込んだ。
私はトイレかと思ったが、そうではないとわかった。
クロアチアの半分位の値段で買えるのだ。私は、飲み物を多めに買い込んだ。
全員バスへ戻ると、すぐ発った。湾に沿って走ると、すぐ、出国イミグレだ。ずっと走れば、30分ほどであろう。
飛行機に乗っているわけでもないが、入国から出国まで30分間という短さは、不思議な経験となった。日本では経験できないことだ。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの唯一の、海に面する地域だ。

日がとっぷりと暮れて、街灯以外は何もかも見えない。すれちがう車のライトがバスの中を瞬く間に照らして去る。バスの中で静かに寝ながら、夜は更けていった。

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2006年5月19日 (金)

クロアチア紀行(4)

旧街を囲む城郭の上を歩き回ることができる。地球の歩き方によれば、全長で1940m。さっさと歩けば30分位だろう。入場料が50kn(≒1000円)!ゲッ!結構高い。だが、歩かなければ損だ。
歩いてみれば、もう感激しっぱなし。

沖の島は、ロクルム島Lokrum(東方向)
夏になれば、紺碧色の海をバックにしたオレンジ色屋根の旧街ってきれいだろうと想像する。

20060502_168ドブロブニク旧街のオレンジ色屋根景色に感激している私


本当にオレンジ色屋根だけの景色
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城郭の上の道は、こんなもの。昔、兵士が歩いて守ったのだ。かって、兵士が歩いた苦心の道を、今、私達が歩いて楽しんでいる。
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城郭の上から見た景色もアップしよう。
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20060502_018ドブロブニク旧街の東沖に、ロクルム島が浮かんでいる。野生動物などの観察にもってこい。
ドブロブニク旧街の波止場から10分位。1時間に1本。往復の切符を買って乗る。
ドブロブニク旧街波止場から船に乗って、沖へ出たところ。
城郭は完全な形で残されているので、沖から見ると、遥かな昔の中世の景色を思い浮かべることができる。

20060502_036ロクルム島の一番高いところ(たぶん標高25m位)に展望台がある。展望台から、ドブロブニクの旧街が見える。港から徒歩で20分位。

20060502_041地元の人々が出入りできる小さな波止場が、幾つかあり、そのうちの一ヶ所。そばに、若い恋人が昼寝していた。

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2006年5月17日 (水)

クロアチア紀行(3)

5/1朝にバスターミナルへ行って、昼2時45分にドブロブニク行きのバスが出ることを確認する。
ホテルへ戻って寛ぐことにした。というのは、雨が降って寒いから。雲が低く垂れ込んでいた。

左から、城郭の外のトミスラフ広場、トミスラフ広場から門へ、聖マルコ大聖堂、城郭内の街・路地
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左から、東側から、城郭から東方向へ、城郭から南方向へ、城郭から東方向へ
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20060430_080船から下りる人々、寒そうな感じ。





20060430_136南西の位置からコルチュラの旧街を眺める。半島の上に建物に覆われていることがよくわかる。

20060501_018オレビッチへ向かうフェリーから眺めたコルチュラ

バスに乗り、フェリーに乗り込み、10分位走ったら、オレビッチに着いた。船から出て走り出したバスの軽やかなエンジン音は、いよいよドブロブニクだと胸躍る気分と相重なっているように思えた。

20060501_022しかし、2時間ほど走って、そのバスがピッチに陥った。
何か漏れたらしい。走ると、後ろから油臭い蒸発がモワモワと…。
運転手が整備士へ変身。乗客の皆が、バスが再び走れることを祈っている。

1時間ほどしたら、バスが走れるようになった。乗客全員が拍手。
再び走り出して、2時間ほど走る。
大きな橋を渡って、ドブロブニク・バスターミナルに到着。1時間ほど遅れて、夕方6時45分頃。陽がまだ沈んでいないのが幸い。

20060501_044 20060501_045日が暮れないうちに、ホテルを探して確保しないといけない。インフォメーションセンターで、ホテル・マップをもらって、1軒目へ向かう。15分ほど。満杯だ(愕然)。2軒目も満杯だ(愕然)。
再び歩いて探すのはきついので、カウンター係員に、空いているホテルを紹介してくれないかとねだる。電話で探してくれて、徒歩10分位のホテルを確保。感謝を伝えて、日が暮れて真っ暗になった道を急いで歩く。
新しく開業したばかりホテルだ。
翌日も泊りたいがOKかと問い合わせると、翌日5/2は満杯で駄目だとのこと(愕然)。

5/2朝の空を見上げると、いい天気になりそうだ。クロアチアに来てからずっと雲か雨だった。

20060502_070地図をチェックして、ホテルから旧街まで徒歩で20分位かかりそうだ。行きは歩いて、帰りはバスにする。
ホテルを出て、坂道を下って(北上)、左に湾を眺めながら西へ曲がって直進。上り坂を5分間ぐらい歩いて、それから、緩やかな下り坂をずっと歩く。 右に、海が眺められる。
その道の奥に、旧街入り口のピレ門らしいのが見える。

20060502_072 20060502_073 20060502_076ピレ門前の広場での、左、前、右

第一印象は、頑丈な城郭が完全な形で残されていることであった。

20060502_087ピレ門をくぐって、広大な直線のプラツァ通り。
白い石畳がまぶしい。
建築様式が、ヴェネチアの建築とほぼ同じだ。 同年代に町が栄えたことがよくわかる。


20060502_123_1城郭を出ると、小さな湾に、2本の波止場、沢山の小型船を泊めている。わあぃ、きれいだと感激。

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2006年5月16日 (火)

クロアチア紀行(2)

リエカを発って、船に揺られながら夜を明かす。

20060429_048翌朝は、スプリットのディオクレティアヌス宮殿に迎えられた。
潮風に吹かれながら悠々と揺れるフェニックス並木の景色がなかなか快い。

この宮殿は、かって大きな館だったと、誰が見ても理解するのに難しい。かって、幅120m×奥150mほどの規模であり、上から見れば4つの中庭を抱えた「田」型の、大きな館であった。
ディオクレティアヌス帝が、ローマ皇帝を退いた後、住んだところ。西山荘版と解釈してよかろう。
7世紀に攻撃されて崩壊され、頑丈な城壁と史跡のみ。
観光のクライマックスは、ペリスティル(次の左)。
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20060429_119バスで、スプリットから北西方向へ40分間位揺られて、トロギールへ。

20060429_113もと城郭で囲まれた街で、攻撃に備えて、水路を作って、陸地を切り離したという。水路を跨る石橋が、街への入り口。

20060429_077海側の景色。


20060429_061街中の石畳小路。
街全体がが大きくないが、隈なく巡る石畳小路を踏み歩くのになかなか快い。遥か昔の人達も、このように踏み歩いて、快く思ったのだろう。


20060429_198 20060429_202水中翼船で、スプリットからフヴァルHvarを経由してコルチュラへ。北西の波止場に下りて、オレンジ色屋根の、いろいろな彩りの家並びの景色が目に飛び込んで来た時、胸が躍った。

20060429_214コルチュラの城郭外の南500m先のホテルへ投宿。
ホテル玄関から撮った夜景。
ゆっくりと濃い紺色の空に包まれつつ、ゆっくりと眩い白色の点灯が灯りつつ、時間がゆっくりと流れていった。

胸が躍ったのはいいが、翌日4/30にあっけなく凹んでしまったのだ。
それは、4/30 14:45発のバスでドブロブニクへ移動しようと考えたのがいけなかったのだった。
アドリア海では、4/30午後から5/1午前まで、メーデー(祝日)の為、バスも船も運休同様になった。

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2006年5月15日 (月)

クロアチア紀行

皆さんの5月連休はいかがでしたか。
私の5月連休のクロアチア紀行を、2、3回に分けて綴ります。

クロアチアへ行こうと思い立ったのは、1991年のユーゴスラビア内戦・紛争の勃発、そして、クロアチア内戦が起きた時、ドブロブニクがNATO軍に爆撃されたというニュースで、美しい町並みの景色を見た。
平和になったら必ず見に行こうと思い続けてきた。

ルートは、次の通り。地名について、英字を添えておきます。

パリ(航空)→ザグレブZagreb(バス)→リエカRijeka(船)→スプリットSplit(バス)→トロギールTrogir(バス)→スプリット(船)→コルチュラKorc*ula(バス)→ドブロブニクDubrovnik(バス)→ザグレブ(バス)→オシイェクOsijek(バス)→ヴコヴァルVukovar(バス)→オシイェク(バス)→ザグレブ(航空)→パリ
* cの上にチェック印と似たものが入っている。

ザグレブのツーリスト・インフォメーション・センターで、アドリア海の船時刻と、夜光バスの有無を聞いている時、リエカで週2回出航の船が今夜(4/28)に出ると教えてもらった。最初、夜光バスでドブロブニクへ移動して船で北上するという計画を、リエカから南下するというルートへ変更。

ザグレブから、アドリア海旅の出発点のリエカへ、バスで、高速を走ったり、(日本では)山道のような細い道を走ったりして、3時間ほど。
20060428_129峠を越えると、山斜面に住宅が立ち並ぶ景色が広がる。
狭くくねる2車線を下る。
バスの行く方向のずっと向こうに港が見える。
(長崎の)日見峠から蛍茶屋へ行く時の雰囲気と似ている。

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バスから下りて、(地球の歩き方の)地図を確認して、まず、大手船舶ヤドロリニヤJadrolinijaの営業所へ向かう。
営業所にしては、1900年代前半以前のなかなか立派な建物。
今夜発の予約を入れた。
20060428_163マルコポーロ号というフェリーだ。夕方5時半頃に乗船、夜8時出航。

20060428_175アドリア海の旅への出発だ。
過去にベネチアとイスタンブルの街を見て感動し、歴史を読んでアドリア海沿岸の歴史を知り、一度訪れて見たいと思っていたことがいよいよ実現されるのだと、期待を膨らましていく。

20060429_007 20060429_008日が暮れて、回りには海辺の街の明りや、往来の船の明りが、ただ後ろへ去って行くだけ。
機関室の轟き以外は静かだ。

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