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2006年4月21日 (金)

WTC

2001年9月11日
季節はこれから初夏のハッピーな日々になろうとしているのに、なぜか場違いな感傷になってしまった。
それは、2001年9月11日の同時テロ事件。
米ペンシルバニア州に墜落したハイジャック機を題材とした『ユナイテッド93』が公開されることを知ったから。

2001年9月11日の秋晴れ、快適な朝、一日の始まりの活気を見せている最中に、NYCの街に聳え立つWTCが飛行機に突っ込まれた。
平和な日々を過ごす人々は、それは何事なのかと理解するのに、時間がかかってしまった。
地上へ降りることができない大勢の人々が飛び降りて死んだ。
数日後、崩壊。多くの消防士や警察官が犠牲になった。
今の私達にとって、戦争以上の大きな衝撃のワンシーンであった。
戦争の方が恐ろしいと思うが、なぜか、WTCの突撃崩壊の方が衝撃が計り知れなかった。

数日後の2001年9月14日に、私はオランダへ飛ぶことになっていた。
オランダ・エデ市で開かれる会議に出席する為だ。
開催するかどうか、数日間、インターネットにかかりっきりだった。
参加するか不参加とするか決める為だ。

開催決行か、中止か?
米国参加者はどうなるか?

私がオランダへ飛ぶと決定したのは、9月14日朝4時頃。
慌しく荷造りを済ませて、NEXに乗り込んで、成田空港へ。
成田空港では、幾回もかなり厳しい検査を通って、機内へ。

大西洋間、太平洋間は、飛行停止・飛行禁止となった。
アムステルダムでは、米国へ帰国できなくなった米国人が大勢いた。
「WTCで働く友人知人がいるのよ、行方が気掛かりなの」と涙を流す米国人
ホテルで冷静な態度を保つ米国人
会議会場では、帰国できず長期間滞在となると見込んで、滞在世話を買って下さる方々を探す米国人

会議会場で久し振りに欧州の方々を見つけると喜び合った。
米国人でもないのに、なぜが「生きてよかった」と涙もろくなった。
その1週間は、私にとって、一生忘れられない経験の日々であった。

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