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2006年4月25日 (火)

本:北野雅子さん

石川県聴覚障害者センター施設長・北野雅子さんが、次の通り、コラム集を出版。

『音のない世界』知ってほしい

1500円
問い合わせ:石川県聴覚障害者協会

<出典元>
中日新聞Web Press
http://www.chunichi.co.jp/00/ikw/20060421/lcl_____ikw_____000.shtml

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2006年4月21日 (金)

国連通常予算分担率・分担金

20060421数ヶ月経ってしまったが、外務省公式ウェブで、『2004-06年国連通常予算分担率・分担金』が公表されている。
金額はさておき、割合を見ると、米国+日本+ドイツだけで、50%余りとなっている。
国連常任理事国の英国、フランス、ロシア、中国が支払っているのはどの位かを計算したら、何と、14%余り!!!
それは問題ではないかな?おかしいのではないかな?
第二次大戦を起こした張本人(日本とドイツ)として然るべき金額なのか?

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WTC

2001年9月11日
季節はこれから初夏のハッピーな日々になろうとしているのに、なぜか場違いな感傷になってしまった。
それは、2001年9月11日の同時テロ事件。
米ペンシルバニア州に墜落したハイジャック機を題材とした『ユナイテッド93』が公開されることを知ったから。

2001年9月11日の秋晴れ、快適な朝、一日の始まりの活気を見せている最中に、NYCの街に聳え立つWTCが飛行機に突っ込まれた。
平和な日々を過ごす人々は、それは何事なのかと理解するのに、時間がかかってしまった。
地上へ降りることができない大勢の人々が飛び降りて死んだ。
数日後、崩壊。多くの消防士や警察官が犠牲になった。
今の私達にとって、戦争以上の大きな衝撃のワンシーンであった。
戦争の方が恐ろしいと思うが、なぜか、WTCの突撃崩壊の方が衝撃が計り知れなかった。

数日後の2001年9月14日に、私はオランダへ飛ぶことになっていた。
オランダ・エデ市で開かれる会議に出席する為だ。
開催するかどうか、数日間、インターネットにかかりっきりだった。
参加するか不参加とするか決める為だ。

開催決行か、中止か?
米国参加者はどうなるか?

私がオランダへ飛ぶと決定したのは、9月14日朝4時頃。
慌しく荷造りを済ませて、NEXに乗り込んで、成田空港へ。
成田空港では、幾回もかなり厳しい検査を通って、機内へ。

大西洋間、太平洋間は、飛行停止・飛行禁止となった。
アムステルダムでは、米国へ帰国できなくなった米国人が大勢いた。
「WTCで働く友人知人がいるのよ、行方が気掛かりなの」と涙を流す米国人
ホテルで冷静な態度を保つ米国人
会議会場では、帰国できず長期間滞在となると見込んで、滞在世話を買って下さる方々を探す米国人

会議会場で久し振りに欧州の方々を見つけると喜び合った。
米国人でもないのに、なぜが「生きてよかった」と涙もろくなった。
その1週間は、私にとって、一生忘れられない経験の日々であった。

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2006年4月18日 (火)

第30回東京都聴覚障害者軟式野球大会

東京都聴覚障害者連盟副理事長として、『第30回東京都聴覚障害者軟式野球大会』へ開会式挨拶、優勝旗返還・授賞、そして、協力していただいている審判団へのお礼挨拶などの仕事をして来た。

この間の、4月17日(日)は朝から雨ポツリポツリで寒い。
そんな中で、大井競馬場近くの球場で、『第30回東京都聴覚障害者軟式野球大会』が開かれた。
都内の8チームがトーナメントで勝敗を決めて駒を進めて、関東、そして、全国大会へ出場権を獲得するのだ。

この大会の準備を担って下さった(都連盟体育部傘下の)野球運営委員会の委員長は、第30回という素晴らしい実績、昔先輩が始めたからこそ今の私達が楽しめることの感謝を述べて下さった。私の開会式挨拶より、なかなかいいスピーチであり、感動的であった。

来週の4月24日(日)に、決勝戦を進んだチームが関東への出場権を得るのだ。

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2006年4月17日 (月)

東京都立中央ろう学校

20060411_00220060411_0013月13日に「都立ろう学校の閉校」を書いた。
石神井+大田+大塚・杉並・品川の中学部が統合され、中高一貫校の都立中央ろう学校の入学式が、4月7日(金)に、元石神井ろう学校で行われた。
校門では、「石神井ろう学校」から「中央ろう学校」と変わった。
この中高一貫のろう学校としては、全国初だそうだ。

私の、東京都聴覚障害者連盟副理事長としての初仕事は、都立中央ろう学校の入学式来賓であった。
入学式来賓席に座って、式典の進行を見守った。
単に入学式の来賓として出席して、「祝辞を述べて見るだけでは駄目だ」と考え、来賓者に挨拶、特に、教育関係者(教育委員会)と政治関係者(議員)に挨拶することも大切だと肝に銘じて、何人かと挨拶を交わすように心構えて、努めた。
この初仕事で思ったことは、来賓者との挨拶には、タイミングさが本当に大切だということ。
タイミングを掴んでおかないと、挨拶することもできず、すれ違いになってしまう。それは、勿体無いことだが、本当に難しいと思った。もっと経験を積んで、タイミングを掴んで、名刺を交わして挨拶をして、我々の課題を述べて、そして、今後の情報を入手できるように努めたいと思っている。

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2006年4月16日 (日)

だいぶ溜まってしまったわい!

4月1日から、社団法人東京都聴覚障害者連盟副理事長として活動を始めた。
副理事長としての初仕事やいろいろなことをして想ったことを日記に書こうと思いつつ、ブログの書き込みが週に1度という状況が続き、随分と溜まってしまいました。
勿論多忙さは変わりませんが、ここブログの書き込みのタイミングをまぁ掴んで来て、恐らく、毎日でなくても、週に数度以上の書き込みができるようになると思います。
今後、よろしくお願いします。_Smile_

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手話付プラネタリウム

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上写真の仙台市天文台で、5月一杯まで、手話付プラネタリウムが公開されている。
詳細は、仙台市天文台公式ウェブを参考していただきたい。
手話付プラネタリウムは、「THE SUN ~母なる星~」
下写真の左は、手話・字幕付であることと、見やすい席の案内を表示している。
下写真の右は、プラネタリウムが投影されている間に、音声説明が出ると、必ず、手話・字幕が表示されるのを撮ったもの。
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プラネタリウムは一度見たことがあるが、音声説明だけで、内容が全くわからなかった。
又行きたいと思うようなリピーター意識を持つことさえ、簡単なことではなかった。
そのように説明されるのかと、初めて知り、内容も結構面白かった。

皆さんも是非行くことをお勧めしたい。

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2006年4月11日 (火)

実家で

20060411_018公休を取って、久し振りに実家へ。たぶん1年半振りかな。
用事先の帰りに、昔第二次大戦終戦後、引き揚げ者の為に設けられた2階建て木造長屋が立ち並ぶ住宅地を歩いて、幼い時、いつも近道を歩いて帰った道を歩いたら、何と、上写真の通り、通行禁止と立て札が立ってた。フェンスが敷かれてあって、渡れないのだ。
しぶしぶと遠回りで歩いて、帰宅したのだ。

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2006年4月 9日 (日)

大舘君がチュニジアで出品

3月21日に大舘君の活躍さを紹介した。今度、大舘君がでかしたことをやりましたよ。

おおだてのぶひろ監督作品の「小さな下町」が日チュニジア外交樹立50周年記念に上映参加!

それは、日本-チュニジア外交樹立50周年記念企画の一環として、文化交流に大舘君監督の映画『小さな下町』が上映されたのだ。記念すべき行事に招待されて上映されるとは、大変名誉なことだ。

DEAF-NEWSから失敬するが、次のURLで、Odareという綴りで紹介している。

チュニジアのプレス新聞
http://www.lapresse.tn/pdf/la_une_pdf/2006-03-15_une.pdf

チュニジアのプレス・ウェブサイト掲載
http://www.lapresse.tn/index.php?opt=15&categ=4&news=23959

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2006年4月 1日 (土)

エイプリル・フールの桜

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今年の全国桜情報によると、桜前線が、北上ではなく、西進しているようなものらしい。
本来なら、桜前線が沖縄から始まり、鹿児島・高知へ上陸して、北上する。
しかし、今回は、日本海側と、東北・北海道では、桜冬へ逆戻されて、関西は関東より遅れて、桜前線の北上が変則となってしまったらしい。

そのことは、天気予報や桜前線予報で知ったのではなく、「ミクシイ」というSNSで、全国各地のマイミク(ミクシイ上の友達)との情報交換で桜の開花様子の情報交換を行っているのだ(笑)。
ミクシイをはじめ、メイリングなどの、インターネットによる情報交換がリアルタイムで進められることができて、かなり大きなメリットを受けているのだ。

上写真は、うちの住む八王子市で(たぶん)大きな公園、富士森公園の桜。
エイプリル・フールの桜は、8、9分咲き。満開となるのは、まだ数日後になりそうだ。
はい、以上が八王子の桜情報でした。

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