2008年5月11日 (日)

国政調査に…

20080408_016 20080408_017 バンコク・国連ESCAPで、4月8~10日の3日間に、『2010年人口と住居調査による障害者のデータ収集促進のための地域ワークショップ』が開催された。

 日本で5年に1回実施される「国勢調査」に関わるもの会議であり、2003年「びわこミレニアムフレームワーク+5」ガイドラインに則って、初めて、国連社会調査部が、アジア太平洋各地域の政府関係者・国勢調査担当者らを召集して開かれた。
Photo 現状では、アジア太平洋各地域の身体障害者人口をより正確に把握されていない。
国勢調査の調査票について、身体障害者人口調査をどう進めるか、国勢調査にどう追加するか、政府関係者・国勢調査担当者らをはじめ、身体障害者団体の代表、国連関係者と一緒になって議論が3日間に行われた。
(写真は、国連提供)
Photo_2 調査票には、いろいろな質問事項が記載され、身体障害者に関する質問事項を沢山入れることが極めて難解。
ワシントン・シティ・グループという身体障害者人口調査の手法に関する検討委員会が長い年月をかけて検討して結果、6つの質問事項をまとめて提案している。
(写真は、国連提供)
質問事項は、ICF(国際生活機能分類)に基づいた表現となっていて、身体的な精神的な障害の有無を聞くという質問ではなく、例えば、聴覚障害に関しては、「音声会話に、生活上、差し支えているか」という機能的な困難を尋ねる表現となっている。高齢者や中途失聴者、身体障害者としての登録をしていない人も答えられるように、質問事項の表現を工夫したということである。
 日本人には、身体障害者という枠の概念を越えて、機能的に困難な人々の統計人口をまとめて、社会的ニーズと置き換えることができる考えられる。日本政府が前向きに導入して欲しいことである。
20080410_003

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2008年3月14日 (金)

特別支援教育の行方は?(3)

昨日に、静岡県ろう学校の「聴覚特別支援学校」校名反対について、もう少し調べたところ、報告書などが出されているので、読んで事情を理解することも大切だね。

特別決議
ろう学校の校名変更に反対!
ろう学校の存続と充実を求めます!
http://www.e-switch.jp/sz-deaf/deafschool-demand-12th-forum.pdf

ろう学校の名称変更に関する今までの経過について
http://www.e-switch.jp/sz-deaf/progress_report.pdf

昨日に、次の記事が出されている。
この記事は時間が経つと、閲覧されなくなることを考えて、一部を引用してここに載せる。

http://www.shizuokaonline.com/local_politics/20080312000000000010.htm
「聾はPTA名などに」 県教育長、校名変更で提案
2008/03/12

 ---(引用)---
 ****県教育長は11日の県議会2月定例会文教警察委員会で、「聾文化を大事にしていくためにも、例えばPTAの名称などの形で(「聾」の言葉を)残すことができれば」との考えを示した。****氏(民主党・無所属クラブ、下田市・賀茂郡)の質問に答えた。
 ---(ここまで)---

この記事を読んで失望の思いが広がった。
ろう学校の存在意義について真剣に議論している人達の誠意さを受け止めて、行政側の関係者も真剣に考えて発言して欲しいと思っている。

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2008年3月12日 (水)

特別支援教育の行方は?(2)

東京えは、一昨日3月10日の朝日朝刊、社会面に、「ろう」学校から「特別支援」学校への校名変更に反対する記事が載った。

「聾学校、改称しないで」元生徒ら異議 割れる教委判断
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200803090193.html

私も、校名「特別支援」に対して反対である。

教育委員会が「特別支援」に拘る理由について、正直に言わせれば、腑に落ちない。
教育委員会が述べていることは、校名に無関係なことであり、なぜ「特別支援」に拘り続けている。
従来通り「ろう学校」にしておいて、専門性を高めていき、周辺の学校に協力できる体制にすることができる。
校名を変えれば、制度がスタートできるというものではない。

特別支援教育と変わったことにより、教師免許も変わった。
この内容も、人間自身の能力限界を無視したものになっていると思える。

今まで…
  「私の子供は、ろう学校へ通っているの。」

将来は…
  「私の子供は、特別支援学校へ通っているの。」

こういう会話場面が出てくるだろうか。

文部科学省の公式ウェブに、校名変更の状況が載っている。

文部科学省
校名変更状況
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/material/011/002.htm

このページによれば、大学附属校の全校、兵庫県、広島県、横浜市が、「特別支援」と変更している。
私の母校・筑波大学附属ろう学校も、筑波大学附属聴覚特別支援学校となっている。誠に心が痛い。

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2008年2月26日 (火)

バングラデシュ 2/26

20080226_004アジア太平洋障害者フォーラムAPDF総会に出席するため、バングラデシュ・ダッカに来ています。
ダッカといえば、昭和30年代以前生まれの方々なら知っている事件で、日本赤軍が日本航空をハイジャックして、ダッカの国際空港で、人質交換の条件として、6名の釈放を求めたという舞台が繰り広げられたもの。
明日から会議です。
今回のAPDFが第三回と数えますが、障害者権利条約が採択されて以来、初めてとなります。
アジア太平洋地域の多くのろう者が希望する声を反映させるために、いろいろ、考えなければならないことが沢山あり、課題も多いです。

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2008年2月24日 (日)

香港中文大学

三重で全通研冬集会が開かれていた時、私は、アジア太平洋地域事務局長として、香港へ行って来た。
用事先は、香港中文大学
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20080211_002 20080211_003この香港中文大学の、語言学及現代語言系(直訳だと、言語学及び現在言語学系)に、手語及聾人研究中心(手話&ろう者研究センター)というところがある。現在、アジアでは、そのようなセンターを構えているのは、この香港中文大学だけだと思う。
そのセンターで、2006年から始まった「アジア手話言語学&ろう者研修プロジェクト」に関するミーティングが行われた。
アジア太平洋地域事務局として、今後どう関わるかを模索するために出席することが目的の核であり、いろいろ説明を聞きに来た。

香港中文大学は、2001年以来の7年振り。
香港中文大学の最寄駅「大学駅」から見える対岸の景色は、2001年当時、山と民家だけだったが、今は、高層アパートがずらりと立ち並んでいる。
一部はまだ建設中であったが、だいぶ変った景色に驚いた。
更に、大学の傍に、高速道が走り、車がガンガンと飛ばしていたのも驚いた。

20080209_025それから、香港では、ちょうど、旧正月の後半であって、どこでも、人々で一杯だった。
久し振りに香港の街を見に、ちょっと九龍へ出掛けてきた。
高層ビル群が増えている。
買い物客を見ると、昔は日本人だらけだったのに、今は、中国本土人だらけ。だいぶ変ったと感じられた。
20080209_043次に、日本の旧正月は、特に、中華街で盛んに行われる行事であって、夜になると提灯に灯りをつけるというノルタジーな夜景を楽しめる。
本番で、旧正月の景色や雰囲気を楽しむのに初めてであり、いい経験になった。

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2008年2月 2日 (土)

八王子の手話

八王子市から助成金をいただいて、以前から取り組んでいた「八王子の手話」を、印刷発行へ踏み出すことができた。

<参考>
市民企画事業補助金

私自身が、東京都聴覚障害者連盟副理事長と、全日本ろうあ連盟理事に就いて以来、それらの多忙さにより、編集委員会活動から離れて、私のは名ばかりとなった。
編集委員会の方々が努力して、昨年12月の35周年記念大会で発行することができ、長い間の八王子市聴覚障害者協会の夢を実現させることができた。

委員が営業ウーマン如く、宣伝活動にかんばって、かなり、新聞や多くの雑誌に取り上げられ、未だに取材が続いている。
私が予想もしなかった展開だが、委員のかんばりがあったからこそ、成果の形が出て来たわけであり、賞賛したい。

<読売新聞>
Ps80115a八王子の手話ガイド刊行 公共施設など表現統一 聴覚障害者協会=多摩

<八王子市>
「平成19年度市民企画事業補助金」補助金交付事業 一覧、審査結果のまとめ
事業実施部門の37番「「八王子の手話」ガイドブック(八王子市聴覚障害者協会)」

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2008年1月29日 (火)

ペプシCMにろう者登場

Bobsペプシコーラのコマーシャルに、ろう者が登場。
ASL(米国手話)&英語版であるので、たぶん、日本では放映されないかもしれません。
内容は、「ボブさんの家(原題:Bob's house)」で、世界中のろう者なら知っている有名なデフジョークの一つを映像化したもの。

http://www.pepsi.com/bobshouse/

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2008年1月17日 (木)

オーストラリアの反捕鯨

今日のニュースによれば、日本船の鯨生態調査を妨害し、暴力行為を行ったとして米国環境保護団体シー・シェパードの活動家2名(豪州、英国)を拘束したことに対して、特にオーストラリアが筋が通らない主張を始めたそうですね。
夜のテレビで、環境保護団体シー・シェパードが、反捕鯨国の内で際立った反対をしているオーストラリア政府との金絡みのパイプを持ちたがっていて、際立った暴力行動をしているのではないかと、推測の話も出ていました。

Img逆に、オーストラリア批判のYouTubeで話題になっています。
URLを貼っておきます。
Racist Australia and Japanese whaling ver.1.0 白豪主義オーストラリア
http://www.youtube.com/watch?v=e8lvep0-Ii0

1/16夜時点で、アクセスがのべ96万以上、コメントが3万以上という異常な数になっています。
オーストラリアのかっての白豪主義、ディンゴやカンガルーの残酷な殺掠、アポリジニ差別、などをアップしています。

1999年にオーストラリア・ブリスベンで開かれた世界ろう者会議の記念講演は、アポリジニ男性(2000年シドニー五輪閉会式演出副監督)でした。
アポリジニ差別の過去事実を持つ豪州で、記念講演に彼を招聘したこと、全員白人ばかりの実行委員会に対して尊敬しています。
しかし、それは稀な一部であって、豪州人全体の取組みに注力しているものではないと疑問を感じました。
例えば、メルボンヌの街で、酔っ払いのアポリジニをよく見かけ、街中の買い物やパーティでは皆、白人ばかり。
豪州人へ、アポリジニ差別を出して尋ねると、誰も「過去事実は知っているけど…」と悪い歯切れ、そして、「今は知らない」という主張が多かったように感じられました。

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2008年1月14日 (月)

フィリピンの英雄

20071228_016 20080101_045首都のマニラ首都圏中心を歩くと、先進的な都会と変らない街であり、フィリピンらしさが未だに沸かない。
道路で走る多数のジプニーが、マニラ首都圏のど真ん中にいながら、フィリピンを実感できる唯一のもの。
マニラ首都圏の中心・マニラ市の北隣・キアポ市、そして北部の人口規模や面積が大きいケソン市は庶民の街であり、フィリピンの雰囲気を味わえると伺っている。
行って見ると、フィリピンらしさを実感するのに困難であった(笑)。
わかりやすく言わせれば、スペインの低所得層住宅地の路地に、大勢の華僑が住んでいるというイメージであった。

それから、地元のろう者に案内してもらって、フィリピンの英雄伝説に触れる機会があった。
現在のフィリピンが成立された歴史の一部を知るのに有意義なことであり、皆さんも、是非、知って欲しいと思い、書きます。

フィリピンの英雄は、たぶん沢山いるかもしれあいが、今回は二人を挙げよう。

20080101_046 20080101_051ラプラプlapulapu
左画像2枚が、リサール公園東の、ラプラプ立像。
1521年4月、セブ島近くのマクタン島で、マゼラン軍と戦って破り、マゼランを倒した(マクタン島の戦い)という。
フィリピン人アイデンティティが最初に形成されたと見方もできる。
<参考>
http://history.husigi.com/VHv2/koneta13.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%97

20080101_002 20080101_0322枚が、ホセ・リサールJose Rizar。
左がサンチャゴ要塞内、右がリサール公園西。
スペイン領時代の抑圧から解放されようと、フィリピン独立運動の英雄。
フィリピン先住民、中国、スペイン、日本の混血であるが、スペイン政府に対してフィリピン人として立ち上がり、最後に、銃殺死刑により人生にピリオドを打たれた。
毎年12月30日が、リサールの日として、崇められている。
<参考>
http://homepage1.nifty.com/pdo/joserizal.htm
http://www.geocities.jp/bane2161/risa-ru.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%BB%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%AB

リサール公園東・リサールモニュメントの近くに、リサール記念館がある。
「記念館」とは名ばかりで、建物がなく、野外にいろいろな銅像が置かれてあるところだ。
銅像で銃殺刑シーンを再現しているので、初めて見た時、私は躊躇した。
20080101_034 20080101_036 20080101_037


リサール記念館の位置は、ホセ・リサールの銃殺刑が行われた場所。
リサール銅像(左画像の左に倒れかかる像)の背中に、撃たれた跡の3ヶ所を実現している。
銃殺刑の周りに、リサールの生い立ちを物語る銅像が並んである。その真ん中辺りに、母の失明を動機として、眼科医者になったという銅像もある。

20080101_006 そして、スペイン時代に造られたというイントラムロスの北部に、サンチャゴ要塞があり、スペイン、英国、米国、日本、そして、米国へと、軍事根拠地として使われた建物がある。
説明板を読むと、なぜか、日本占領時代の悪事について、スペインなどより、数行多く書かれている。
米国にとって都合の良い記述となっているように思えた。
20080101_008スペイン領時代のサンチャゴ要塞への門。その門を出ると、イントラムロスの中であり、スペイン領時代の街が広がる。周りには城壁が囲まれている。その街には、スペイン人と、その混血しか住めなかったそうだ。


20080101_023 20080101_026左は、カーサ・マニラ博物館前のルナ通りGen Luna St.。右は、イントラムロス西側城壁の上から見たサン・ルシア通りSanta Lucia St.。
その辺りの街は、スペイン領時代の建築が並んでいる。
そういえば、バルセロナの小ぢんまりとした下町景色を思い出されるような町並みである。
20080101_020 20080101_028左は、サン・オウガスチン教会、右は、ルナ通りを南下して城壁を出るところ。そのまま南下すると、リサール公園へ出る。
20080101_027サン・ルシア通りを南下して突き当たりのところに、城壁を登って展望できる広場がある。
西に、マニラホテルの高層ビルが建ち、南方に、マニラ首都圏の高層ビル群の景色を眺めることができる。
この景色を眺めながら、この城壁は、マニラの今昔を物語る存在ではなく、フィリピン人アイデンティティ形成の節目の存在であるように思えた。

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だいぶ開けてしまいました

ブログの日記を、2ヶ月以上開けてしまい、ごめんなさい。
正月のお過ごしはいかがでしょうか。

私は、非公務としてアジア太平洋事務局(以降、「AP事務局」)関連でフィリピン・マニラへ飛んで来た。
世界ろう連盟で、スウェーデン政府の助成金を受け取るための事前調査を進めていて、その作業のコーディネーターがマニラ在住のAP事務局運営委員が担っているので、作業様子を見に行った。
今後の予定も併せて、いろいろ話を聞いてきた。

話し合いに、フィリピンろう連盟事務所を提供して下さった。
MRTという高架電車に乗って、GMA駅で下車(駅近くのGMA放送局の高層ビルが目印)、徒歩でたぶん15分位かな、フィリピンではたぶん中層に相当する住宅地の中に、フィリピンろう連盟事務所が置かれている。
2日間、話し合いが行われた。
毎晩、いろいろなところへ連れて下さって、だいぶお世話になった。
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